最近読んだ本, 続き

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重延浩『ロシアの秘宝琥珀の間伝説』(しげのぶゆたか)
日本放送出版協会,2003 年 9 月,ISBN 4-14-080814-4, ¥1700E

 旧: レニングラード (現: サンクトペテルスブルグ) の南,旧: ツァールスコエ・セロー (現: プーシキン) にある「エカテリーナ宮殿」から 1944 年,ナチス・ドイツによってレニングラード退却の際に剥ぎ取られ,持ち去られた 「琥珀の間」 の行方探索と,2003 年,サンクトペテルスブルグ建都 300 年に合わせた 「琥珀の間」 復元過程についての記述.2003 年 5 月 から 8 月にかけて NHK で放映されたドキュメンタリの書籍版.

 本来の内容も興味深いが,ここにはその琥珀の匿し場所と目されるところがいろいろ出てきて,その地名からの連想が止まらない.

 ドイツ,テューリンゲンは我国での長野県のようなところと認識されていたようである.長野県松代町に 1944 年 11 月から 1945 年 8 月にわたって,太平洋戦争末期の本土決戦にそなえて「松代大本営地下壕」が掘られたが,これと同じような地下施設が,テューリンゲン州の Arnstadt/Crawinkel/Ohrdruf/Jonastal 地域につくられたとのことである.いま Road map でその辺りを見ると,文字の指示は何もないが,点線で囲まれたところがあって,どうやらそれが該当しそうで,そこが匿し場所の一候補として紹介されている.Arnstadt/Crawinkel/Ohrdruf の地名はすぐに見つけられるが,ヨナス渓谷 "Jonastal" は地図にその地名が出ていない."Amt 10": ナチス情報本部第十部局があったとも,原子爆弾関連の "Sonder III" という研究施設が置かれていたとも聞く.このような地名をキーワードにして検索エンジンで探すとかなりの記事が網に掛かる.例えば,http://www.arnstadt.de/index.php?action=showForum&id=179&structureId=24

 当時,地下壕の技術はドイツが世界最高水準にあった模様で,地下壕はここだけでなく,"V2" ロケット部品の製造で知られる "Mittelbau-Dora" ミッテルバウ・ドーラをはじめ,数限りないというほどの地下工場が各所にあったらしい.地下壕掘削要員確保のために "Buchenwald" ブーヘンヴァルト収容所があったという説明もある.先年,テューリンゲンの森をレンタカーで走って,その景観とともに過疎も大いに楽しんだが,こうした地名を見ると,それぞれにごく近くを通っていたものとの想いが頭中を走る.

 ワイマール Weimar の Demokratische Platz にある美術館の地下も匿し場所の一候補として紹介される.この広場はアドルフ・ヒットラー広場 -> カール・マルクス広場 -> 民主主義広場 と三度も名称が変更されたとのこと.先に,一方通行路ばかりで,なかなかホテルへの道筋が分からず,ここらあたりでうろたえた記憶がよみがえる.

 カリーニングラードのことも出てくる.ポーランドのグダンスク/グディニアからカリーニングラード行の船が出ている.船は好きだし,はるばるグダンスク/グディニアまで来たのだから,そこまで行ってみたいと思うが,入国査証が必要であるうえ,「マフィアと麻薬の巣」と聞かされると二の足を踏む.学会の遠足で連れて行ってはくれまいか.

エクトール・フェリシアーノ 「ナチの絵画略奪作戦」 宇京頼三:訳
平凡社,1998 年 7 月,ISBN 4-582-82421-8, ¥1400E
Héctor Feliciano, "The Lost Museum", Basic Books, Harper Collins Publishers, 1997
"Le Musée disparu - enquête sur le pillage des oeuvres en France par les nazis", 1995

もあわせて読んだ.こちらは題名のとおりナチによる絵画略奪が主題であるが,「琥珀の間」 のことは出てこない.ソ連赤軍も 250 万点におよぶ美術品を略奪したらしい.ボルシェビキの野蛮さはよく知られていようが,ゲシュタポのそれとはやや異種であるように思う.


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