最近読んだ本, 続き

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米原万里 「オリガ・モリソヴナの反語法」 (ヨネハラマリ)
集英社,2002 年 10 月,ISBN 4-08-774572-4, ¥1890E

 高校で同窓の土谷昭君がこれを読んだと言ってきたので,それを機会に読んだ."オリガ・モリソヴナ" はプラハ,ソビエト小・中八年制学校の教師であるが,来歴の謎を解く過程では,プラハではなく主にモスクワが舞台として出てくる.この本を読む前に,地名を見ると場所が目に浮かぶかと問われた.そういう意味ではフライング気味の読み方になった.しかし,すすんで自分から読もうとするかということになると,基本的には敬遠する部類の本であって,それがゆえにいままで読まないできた.たしかに面白いのだが,読んだあとではやんわりとその時間を取り返したいという衝動が生まれるのを禁じえない.設定は 1992 年,ソ連邦崩壊からほどない時期である.宿泊はいまのサヴォイホテル/むかしのホテルベルリン.かつての地下鉄駅 Dzerzhinskaya ジェルジンスカヤは Lubyanka ルビャンカと名が変わっていることなどが謎解きの奥に潜むおぞましい過去に合わせるようにして触れられる.

 最初にモスクワを訪れたのは 1981 年,モスクワオリンピックの翌年であり,その後は 1983 年,1989 年であって,ソ連邦崩壊以降についてはよくは知らない.ソ連邦崩壊後,1993 年,2001 年にも入国してモスクワの地を踏んではいるが,共に Transit でしかない.

 1981 年にはいまはベラルーシのミンスクで学会があり,その往き還りに立ち寄った.そのときはそれぞれコスモス,ナチオナールというホテルに割り振られた.金は取られるのに,泊まるところを自分では決められず,「あてがいぶち 宛行扶持」 である.前者は数年後に火事で燃えた (いまも営業しているらしい) が,後者は由緒ある名門で,ときどき新聞記事にも出るので消息が知られる.ホテル・ナチオナールは赤の広場に近い一等地の角にあり,出たところに地下鉄への下り口があった.駅名は確か Prospekt Marksa プロスペクト・マルクサといった筈である.いまは別名になっている*.Kuznetskiy Most/Dzerzhinskaya で降りるとジェルジンスキー広場に面して "KGB" の建物があり,ジェルジンスキー像も健在,ブレジネフ体制も末期とはいえ,社会のシステムとしては広範囲に極めて強固との印象を受けた.我々旅行者は 「空港 <--> ホテル」,「ホテル <--> 駅」 を自分で動くことは許されず,すべて国営旅行社インツーリスト差し回しの Transfer によらねばならなかった.シェレメーチェボ 2 空港から市内へと移動するのに,最初のある区間,真っ暗闇で前照燈を点灯せずに "ヴォルガ" が走った.国防上の措置といったが,人間でも訓練すれば猫の夜間視力が得られたのか.

 もっとも,ホテルにチェックインしているあいだ (その町の中だけなら) 自由に歩き回ってよい.しかし,この初年度にはロシア語の知識は皆無.地下鉄の駅名も読めず,すべてを視覚的な図としてパターン認識で頭に入れておくよりなかった.地下鉄で動くには降車駅だけでなく乗換駅や終点の駅も覚えねばならず,メモリー容量が不足するうえ,大文字 Upper case で視覚的に記憶したのに途中で勝手に小文字 Lower case に変わったり,はては筆記体になったりして苦労させられた.警察国家であるから旅行者は誰からも襲われず至極安全,もしくは ... を撮影したとか,... を所持していないとかというような嫌疑で逮捕・拘束の憂き目.

 ロシア語のキリル文字については,1983 年,二回目に行く直前,三箇月間のラジオ講座と大学内初級クラス出席の併用で,なんとか読み取って発音し,普段書き慣れたアルファベット表示や片仮名に直すくらいのことができるようになった.そうすればビブリオテーカ "Biblioteka im. Lenina" と読めれば図書館かとなって,ずいぶん楽になり,比較的楽に動けるようになった.また,学に関係するロシア語語彙の多くがラテン語,ゲルマン語経由であることを知った.

 Smolenskaya スモーレンスカヤ,Prospekt Mira プロスペクトミーラ,Leninskiy Prospekt レーニンスキープロスペクト,Komsomol'skaya コムソモールスカヤ ,VDNKh バーデンハー (国民経済博覧会),オスタンキノのテレビ塔,Leninskiye Gory レーニン丘,レーニンスタジアム,ノボデビッチ修道院などの名前が,この本を読んでいると口について出てくる.モスクワオリンピックは,アフガニスタン問題から西側諸国がボイコットしたのだった.レーニン丘からスキーのジャンプ台が見えた.通貨のルーブル (RUB) は公定では米ドルより高く (1 USD = 0.9 RUB),250 円を越えていた.モスクワオリンピック記念 1 ルーブル銀貨をそのとき手に入れたが,充分大きな立派なものである.通常の 1 ルーブル銀貨というものもまだあった.いまも数個確保してある.もっとも数は少なく,流通する大半は汚い紙幣であったが.表題の本を読みつつ,二十数年前,十数年前の,あるいは三年前の,カザフスタンなどを含め,自分がそこにいたときのソ連邦各地の状況を思いだすのだが,そこにあるのはなつかしさではなく,むしろ憾みを含んだものである.自分で例えばモスクワやカザフのアルマータに行っていながらそこにいることを嬉しく思わないのは,毎年行かされていつも不愉快な人間ドックに例えればよいだろうか.

 さらに思うことは,スターリンのなした粛清の壮絶さとその国家的不利益.ナチのユダヤ迫害と併せみても,こちらは特定の人種に対する憎悪があるわけではないのに,単なる権力維持になぜそこまで.まともな人間ひとりをつくるのにどれだけ負担がかかるか,人間ひとりひとりを活かさず粛清することの,国の損失が見積れないのか.民の安寧と五穀豊穰を願わずしてなにかが残るわけがなかろう.本の中味は小説なのでそれはもともとエンタテイメントであるけれども,種々の事実関係を下地にしたドキュメンタリに近いものになっていて,個々の部分について参考文献があげられている.

 ---未完, 以降今後続ける ---

米原万里 「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 (ヨネハラマリ)
角川書店,2001 年 7 月,ISBN 4-04-883681-1, ¥1470E

もあわせて読んだ.著者がプラハでソビエト学校にかよっていたところのプロットが両書で同じ.

後藤 正治 「『ベラ・チャスラフスカ最も美しく
文藝春秋,2004 年 7 月,ISBN 4-16-366020-8, ¥2100E
はまだ読み終わっていないが,この内容はスターリンの大粛清から連綿と続く干渉が招いた一悲劇であろう.

ニコライ・トルストイ 「『スターリンその謀略の内幕」 新井康三郎:訳
読売新聞社,1984 年 12 月,ISBN 4-643-54360-4, ¥1800E
Nikolai Tolstoy: "Stalin's Secret War", Jonathan Cope Ltd., London, 1981
も,これに関連させて読み始めた.厚い表紙をひとつめくると裏表紙となり,そこに強制労働収容所の場所が旧ソ連邦の地図上に出ている.それを見ただけでナチスにも負けず劣らずであったことが予見される.日本語の題名から想像されるよりずっと真面目な本である.参考文献の記載だけでもかなりの厚さ,大部の著述なので容易には読み通せそうにない.「オリガ・モリソヴナの反語法」 がきっかけでここへ来たが,これが必然か.人間の意識の底を見るにはやはりこちらであろうか.

 * 旧東ドイツの工業都市 Chemnitz はかって "Karl-Marx-Stadt" であったし,ベルリン, S-Bahnhof Hackescher Markt はかって "Marx-Engels-Platz" という駅名であった.ドレスデンの Hauptstraße は DDR 時代,"Straße der Befreiung" であった.これこそ 「反語法」 であろう.


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