機械技術者にとって 「究極の工学倫理」 課題ではなかろうか
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Topf und Söhne - Auschwitz の焼却炉をつくった企業とそこのエンジニアたち



 ドイツ,テューリンゲン州の州都,エアフルト Erfurt にかつて存在した "J. A. Topf und Söhne", "J. A. Topf and Sons" という会社のことを知ったのは 2001 年 6 月のことであった.Dessau ガスエンジン会議出席への時間調整にテューリンゲン州の一部をレンタカーで走り,ヴァイマール Weimar で車を返す前に近郊のブーヘンヴァルト Buchenwald 強制収容所跡まで行ってみた.

 昭和 39 年の春,まだ学部,機械工学科の学生だったころ,九州の八幡製鉄 (いまの新日鐡) を工場見学に訪れたことがある.ときに製鉄の最新鋭設備が並んでおり,我国の戦後復興を目のあたりにしたわけであるが,大半の機械設備には "Krupp" の銘があった.おそらくは,こうしたときに受けた衝撃が切っ掛けとなり,その後の職業柄もあって,設備や機械をみると 「それはどこが作ったもの?」 と問う習性ができてしまっている.1981 年にモスクワからいまのベラルーシ首都ミンスクへ,さらに用件終了後レニングラードへと旧ソ連内で二度夜行列車に乗ったが,そのとき二度ともに寝台車がチェコスロバキア製であることを脇の銘板を読んで知り,旧共産圏では国単位での分業が大きく進んでいると感じた.

 そうした習性は Buchenwald でも違わず,そこの炉に付いていた銘板に "J. A. Topf und Söhne" なる企業名を見た*.それ以来この企業名を記憶から外したことはない.炉は自分の専門ではないが,燃焼にはいささか拘わっており,我国の工業炉メーカに在職なさっている方々の顔も眼前に浮かび,帰国後いずれかの機会に尋ねてみよう,あるいは自分で調べてみようという程度のことから,その後もわずかに興味を継いできた.それより以前 1993 年に Auschwitz を見学したときにはその企業名に気付かなかったのは団体行動ゆえの自分の意志で歩くということをしなかったためかどうか自分でも虚ろであるが,Buchenwald に行ったときには来訪者は疎らで,立ち止ってもそれを咎める人などありようがないほどに空いていた.
 * 下記,別添 Iris Hanika の記事にも 「とにもかくにもそれぞれの炉に会社の商標ロゴが燦然と輝いていた」 とある.Iris Hanika は作家,昨年日本にも来ている.

 その後,手すきの折に少しずつ検索しておおよそのところを把握した.書籍も数冊は出版されている.一例として下記の本をあげておく:

 Aleida Assmann, Frank Hiddemann, Eckhard Schwarzenberger
 "Firma Topf & Söhne - Hersteller der Öfen für Auschwitz, Ein Fabrikgelaende als Erinnerungsort?"
 Campus Verlag Frankfurt, Herbst 2002
 ISBN 3-593-37035-2, 317 Seiten, Euro 29,90
 http://www.campus.de/isbn/3593370352/act/inhaltsverzeichnis

 2005 年 8 月 9 日付 "Frankfurter Allgemeine Zeitung" の文芸欄 Feuilleton 最終面に出た Firma Topf & Söhne の記事を Pfalz 地区在住の方が送ってきてくださった.この FAZ に出た Iris Hanika の記事 を日本語に読み下したものを別ページに載せる.その記事は 6 月 19 日に始まったこの企業関連の特別展示に合わせたものであり,その展示は:

 Sonderausstellung im Jüdischen Museum Berlin
 19. Juni 2005 - 18. September 2005
 "Techniker der »Endlösung«, Topf & Söhne - Die Ofenbauer von Auschwitz"

 この特別展示の内容は http://www.topfundsoehne.de でかなりの程度まで知ることができる.展示の付帯出版物 (Begleitband, Accompanying Book) 英語版 裏表紙の文章 を翻訳したものもまた別ページに挙げる.Berlin のあと,Erfurt で,さらに Auschwitz で,引き続いて展示されるとのことである.

 シレジア山岳リゾートで開催された学会からの帰路,2005 年 9 月 8 日にベルリンへ立ち寄り,この展示を見ることができた.そこにあったものは,実に見事な,ほれぼれとするような,これ以上正確には描けないほどの,トレーシングペーパーに黒々と墨入れされた図面,いま見てもすばらしいとしか言いようのない構成ならびに部品設計.それでいて納入までの極めて短い設計開発製造期間.熱力学,伝熱工学,流体力学,材料力学に精通し,その応用をはかって機械技術者として設計者として最高レヴェルにあった人たち.企業としても時流に乗り,需要家に喜ばれ,いまで言う勝ち組そのもの.しかしそれにはまたなんというおぞましさがつきまとっていることか.『この全き普通の会社の歴史,それがこの特別展示の主題である』と展示企画者も言い,悪人が罪を犯すこととの違いを示唆している.まさに普通,いや普通以上に優秀でさえあって,いまでは尋常でない悪意と誰もが考える事柄は,社会と時代の背景を考えれば,そのときには全き普通の業務であり,褒められこそすれ糾弾される筋合いのものではなかったであろう.

 ドイツでは Topf und Söhne のことについては,技術者の問題というよりむしろ企業姿勢の問題として議論されているように思われる.今回の展示については,政治的に利用されること無く,広く,平静に受けとめられて幸いだった,とのコメントが企画者のひとりからあった.

 機械技術者はエネルギー消費が少なく故障しない機械を安価につくりさえすればそれで世界中から喜んで受け入れられるとの雰囲気が我が地域に満ち満ちている."ものづくり" という言葉も中味ともどももてはやされている.技術的な問題が明確に特定されたときそれに向かって挑戦するのはエンジニアの本務本懐である.それに励んで多大な達成があると,ときにそれが悪であるという評価へと遷移することがあるのであり,この Topf und Söhne の件はまさにその極端な例である.「工学倫理」 という語彙使いを好まないものの,機械の設計などに携わる技術者にとってこれほど苛酷な命題はないのではないか.まさに極限とも言うべき 「究極の工学倫理」 問題がここに呈示されていよう.

 我々には何をなすのが善で,何をなすのが悪であるのか.時代を越えうる普遍はありや.これについては本来の,言葉どおりの意味での最終解 "Final Solution, Endlösung" を見い出すことはできないかもしれない.


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