時間を割いても行きたい店

Back to Homepage



即席割烹「」(かもめ)

 静岡市常磐町 1-2-12,静岡駅から歩いて 10 分くらい.<054>252-3323

 槙田芳明さんが包丁を握っている,カウンタだけの店である.出てくるものが高級なので,最初は自分の懐を心配した.実際には決して心配することはない.これまでに出されたもので感心せざることなし.私へのこれまで最高のものは薄味の出汁で煮た蕪であり,単純なものを使ってここまでと思わせるものであった.興津で取れた甘鯛の頭を炙ってもらったのも記憶に残っている.鰻を頼むのもよいが,それも並のものではないことは一口食べればたいていの人にわかる.

 2012 年 8 月に老舗の鰻屋を継ぐため,ご自分の「鴎」を閉じられた.
 「うなぎ満嬉多」静岡市駿河区稲川 1-9-22,静岡駅から歩いて 10 分くらい.<054>285-1288




割烹「和田」(わだ)

 金沢市片町 1-10-5,犀川大橋から歩いて 10 分くらい.<076>221-2848

 和田 潔さんの店.座敷もあるが,入ったところのカウンタに座らなければならない.ゆっくりと時間が流れ,心地よい満足感が得られる.追加で頼んで出てくるものがまた逸品である.帰りにホテルまでタクシーに乗っても,降りたときにチップをはずむ気になってしまう.山口 瞳が贔屓にしていたことでよく知られたバー「倫敦屋」まではそう離れていないので,そこへ歩いて行くのもまた金沢ならではの楽しみ.そこではアイリッシュ・ウヰスキーだろう.

 2012 年,平成二十四年十二月にほぼ十年ぶりに訪れ,レヴェルが維持されていて安心した.




料理「水鶏」(くいな)

 東京都港区新橋 2-8-14,新橋駅から歩いて 3 分くらい.<03>3580-3434

 笠原暎男さんの店.食事をするところではない.ここに上品さを期待してはいけない.剛胆のなかに良さを見い出すかどうかで評価が分かれるであろう.めごち のてんぷら,鰯/烏賊のぶつ切り刺身,鰯のつみれ汁がシリーズで出てくる.これ以外は知らない.それぞれにうまい.説明しにくいが,他には無いものがここにはある.それが何であるか説明する気にはなれない.カウンタだけで,肩すり合うも多少の縁.思いがけない人が結構ここのなじみ客である.店を出たあとどこかで食事をする必要はない.

 * 実に残念なことながら,笠原暎男さんは 2010 年に体をこわされ,この店を閉められた.時の流れは過酷である.




魚料理「だいどころ屋 忠兵衛」

 富山市日の出町 4-2,荒町交差点から北東へ歩いて 5 分くらい.<076>432-5700

 中平敏正さんの店,もともと魚屋であるとのこと.富山湾は天然の生簀と呼ばれているらしい.それゆえか市内どこでも平均値は低くないがそれでも,富山で魚を食べるのならやはりここではないか.このところ何年か続けて,六月に富山に出向く用件があって一泊するので,夜,食事するところをいくつか物色してきたが,結局ここに落ち着く.魚介類のとびきりのものが出てくることに間違いはない.刺身の盛り合わせだけでも感心能わざることなし.そのあとの焼き魚がこれまたすばらしい.他と一線を画する.地酒も揃っていてその温度管理にも怠りない.基本的に和食ではあるが,それだけではなく,ここはスペイン料理屋かイタリー料理屋でもあるか.野菜冷スープ:ガスパチョ Gazpacho,そのあとに出された白魚のおじや (雑炊),これがまさにリゾット Risotto.それらに氷見牛の Minute Steak と続き,冷菓と共に水出しコロンビアコーヒーで締めるというふうであるからである.そこのところのセンスも,同等に指折り数えられる例が多くあるわけではない.




日本料理「せき根」(せきね)

 名古屋市昭和区上山町 4-7, 南山ビル一階,石川橋と八事の中間.<052>836-5121

 自分で料理したことはなく,結婚前はずっと下宿していたから,それこそあらゆる種類の食物屋へ足を運んだけれども,いまは,夕食はかなり遅い時刻になっても基本的に自宅でということにしているので,必要性が低下して,現在の名古屋地区の食物屋については詳しくない.このページに名古屋の店が他に出ていないのはそういう理由による.しかし,外での会食の機会が無くなったわけではない.それにしても自分で何かの機会を設定しようとしたとき,行こうと思っていたところが向こうからどんどん減ってくる.

 「葵荘藤久」はすでに数十年前になくなり,大学から近かった「寸楽園」も廃業して数年になる.「かすが荘別館」もかなり前に無くなった.和食でそれなりの料理を出していた料亭がいつのまにか店を閉めて,マンションと呼ばれるコンクリートブロックに変わり,停年退官教官の送別会会場にも事欠く状況になってしまった.大きなホテルの,エレヴェータに乗って入って行く和食レストランというのはいかにも気が利かない.下足番がいる玄関で履物を脱いで上がり,待合室や広間の畳に坐って参会者の集まりを待つ,その間の会話がかっては成立していたが,それがいまはもう過去のものとなった.下足番とエレヴェータとの中間形態で営業していた「神谷」ですら過日つぶれた.「御納屋」も最近聞かない.「櫻明荘」ももう無い.残るは,「河文」,「十洲楼」,「志ら玉」*,「八勝館」,「蔦茂」,「か茂免」*,「松楓閣」くらいか.「香楽」はどうか.そこでも,個人の懐の範囲で確実な料理を出すところはどのくらいまだあるのだろうか.まだ残っているとはいえ,行ってみると出されたものにげっそりすることも少なくない.それにしても最近下足番に心付けを渡す人を全く見かけなくなった.財界人がそういうことでよいか.衰退の真因はこのあたりだろう.半田龜碕の「望洲楼」はまだ健在のようでめでたい.

 「せき根」はそうした料亭ではなく,割烹に近い,十人座れるカウンタ (四月からカウンタ席は六人分になった) がある小さい店である.もちろん宴会には向かない.他に部屋もあるようだが詳細を知らない.関根幸治さんが二人の若い人を指導しながら料理を出す.もっとも関根幸治さんも年齢としてはまだお若い.料理は正統的でしっかりしたものである.しかし誰にとっても重すぎることがない.そうして充分満たされる.試行錯誤が吹っ切れたとき** にはもっとすばらしかろう.思ったときに行けるところがひとつできてちょっと安心している.

* 平成十八年,年頭松の内に「か茂免」で四十人ばかりの宴を張った.水準はほぼ維持されていたことを付け加えておく.あわせて,いくらか忘れかけていた「伝統的日本建築での冬の寒さ」を改めて認識することになり,身を引き締めるよいきっかけとなった.もっとも,信長の故事を体してか,味はかなり濃い.* 平成十九年,雛の祭日に「志ら玉」へ近親者だけで行き,改めて関西風を感じた.レヴェルが充分保たれていたことを記しておく.別の座敷から名古屋甚句が漏れ聞こえてきたのも風情を添えた.

** 材料のパーツ数が格段に多い.それら個々すべてに予め手を入れてある.食事の何倍かの時間が下拵えにかかっていると知られる.予定調和ともいうべき組み合わせの妙がそこから現出する.平成十九年,ほぼご自分のスタイルを確立なさったようである.巧まずして気は入っている.一品一品のなかに "時間" の概念が構築され,それが明確に感じられるようになった.パーツの多様性がその基礎である.ひとつの椀を味わうにおいても,異なる材料が順次おもてに出てきてそこに経緯が生まれる.一皿一椀の繋がりに,またコース全体に好ましき時間が揺蕩う (タユタフ) のは勿論,ベートーヴェンのディアベッリ変奏曲 Die Diabelli Variationen たる趣き.




ドイツパン/ケーキ「ブルーデル "bruder"」

 名古屋市瑞穂区駒場町 5-12-5,ハイライズ瑞穂 1F, 地下鉄桜通線桜山駅 5 番出口からすぐ.<052>851-2015
 かつて店舗は 名古屋市瑞穂区駒場町 3-9 にあった.2016 年 7 月 1 日から 8 月 18 日まで移転のため休業していた. 8 月 19 日から上の場所で再開.

 神戸の Freundlieb やハノーファなどで修業なさった堀場園雄さん*1 の店.ここ二十五年ばかり*2 ,土曜日の夕刻,シャッターが降りるぎりぎりに,一週間分のパンをここで調達している.おかげで日曜日の朝食はドイツを訪れてのそれとかわらない.

 Krapfen クラップフェンという Semmel,あるいは最も基本的な Kaisersemmel カイザー,もしくはケシの実ゼンメル Mohnkaisersemmel を日曜日の朝食に.それに加えて Roggenbrot ロゲンブロート (ライ麦パン), Pumpernickel プムパーニクル などを買う.月曜日以降はそれで朝食.そうしたパンは本来は朝食用ではないのだが,勝手に朝食にあてている.日持ちがするから.いずれにせよ,ドイツでは主餐,暖かい食事にはパンは出てこないように思う.店名に添えて "Konditorei und Bäckerei" とあるのは,ケーキの方に自信ありということか.

 *1 まことに残念なことだが,堀場園雄さんが 2007 年 3 月 23 日に 66 歳で亡くなった.冥福を祈るとともに,これまで,朝食の至福が続いてきたことへの謝意をここに表す.
 *2 大学を停年退職して 10 年になるから,この数字はいまや 25 年ではなく,2016 年現在,もう 37 年くらいになる.

 写真,左手に二つある Rum-Kugel ルムクーゲル という丸いケーキは Straßburger シュトゥラスブルガーとともに,まだ幼稚園児だった娘を含め,家中の者の Favorite, "nach unsrem Geschmack sein" である.(白い皿は Fürstenberg, Anna Carina) 隣にあるパイ (これも Torte) と較べるとずいぶん小さいが,通常なら二人で半分ずつ食べても満足の域に達する.この Rum-Kugel は数年間も店頭から姿を消していた.チョコレート粒の上衣が風邪を引いて白くなり,すぐに見た目が悪くなるので,商品ラインナップから外してあったらしい.事前に依頼しておけば作っておいてもらえるという状況であったが,このところ復活していて,たいていおいてある.楽しみの復活で実に喜ばしい.

 いまはどうか知らぬが,Hamburg 中央駅構内,陸橋の中程に売店があり,そこでルムクーゲルが売られていて,列車に乗る前には必ずそれを購ったものである.1993 年に Leipzig の Markt で娘がこれを見つけて買ったことがある.ずいぶんと大きかったが,味もそれにあわせて大味であった.東西統一からまだ日が浅く,色濃く東の名残があった.

 ブルーデルには Sachertorte ザッハートルテもあり,それもなかなかだし,Teegebäkke/Plätzchen クッキー缶もしばしば手土産にしてあやまたない.置いてあるもののすべてで,名古屋地区におけるゲルマン系 Konditorei のレヴェル維持におおいに貢献していよう.

 今は 小林重博さんが 品,味,触覚 を正しく継承しておられるうえ,新しい試みにも積極的であって,我々はそれらを毎日享受している.ありがたい.




古美術「妙童」(みょうどう)

 東京都文京区湯島 3-34-11,御徒町駅から歩いて 10 分くらい.<03>3832-1814

 飯田次郎さんの店.いま私は,江戸末期,文人画の世界に引き込まれてしまっているが,その発端がこの店である.東京大学に行く前に,ほんの少しだけ時間があり,遠回りでゆっくり歩いていたとき,谷 文晁 一門数人の合作,扇面の掛軸がガラス戸ごしに斜めに見えたのがいけなかった.その後いくつか入手したが,それらの中で,水戸藩士 立原杏所の軸が最も好ましい.

 山岡鐵舟ゆかりの谷中/全生庵にも比較的近いこともあってか,幕末三舟の書幅で良質のものがときとして現れる.私にとっての順序は泥鐵,海はちょっと敬遠.あるいは,小川芋銭,小杉放庵など茨城県に関係した画家.五浦時代の天心/大観ならびにそのまわりにいた人達.また古河の奥原晴湖.しかし,もうすこし時代を経たものにより惹かれる.関東系ばかりではなく,岡田米山人などの関西系のものも出る.米山人についてはしっかり気を入れて描いたという印象のものよりはボウッとしているようなもののほうがしっくりくる.最近,鴨下晁湖の「小閑帖」という画帖が出たが,それも気に入っている.




文房古玩「萬羽軒」(まんばけん)

 東京都千代田区神田神保町 1-27,神保町駅から歩いて 5 分くらい.<03>3295-7116

 萬羽啓吾さんの店.お茶の水,研究社ビルの地下から,こちら,三省堂裏に移った.硯が専門のようであるが,良寛の書でも有数の目利きらしい.浦上玉堂についてもまたしかり.とにかく,あなどれない人である.見るところを見ている.

 源氏物語の解釈が一部変わるというほどの,催馬楽 (さいばら) が記された掛軸を見いだしたという快挙 (朝日新聞,15 年 1 月 16 日朝刊) もこの人ならではのことである.もともと私は神保町へ行くと帰れなくなるのに,さらなる誘惑.最近ようやく,古典籍も見せてもらえるようになった.

 硯・良寛・草仮名についての論考をまとめた著作が出版された.
  萬羽啓吾「良寛 文人の書」(まんばけいご)
  新典社,2007 年 04 月,ISBN 978-4-7879-5505-0, ¥3800E

 名硯といわれるものの解説としてにだけ読んでもよいし,あるいはまた良寛の書を集めた写真集として眺めるだけでもよいが,硯といえば書,書といえば良寛,良寛といえば,というように展開する,その掛かり,連綿の妙が本書の醍醐味である.良寛が一級の萬葉研究者であったこと,知識人だけに相通じる文字,草仮名が歌人,研究者に共有されていたことなどが語られ,底に流れる精神の高揚,知の豊穣へと導かれる.一冊でかつて我が国に存在した文人というものが定義されており,どういう高みに達していたかを知らしめる.

 続いての出版は,
  池田和臣・萬羽啓吾 編著あきのの帖 良寛禅師萬葉摘録」(いけだかずおみ・まんばけいご)
 青簡舎,2012 年 11 月,ISBN 978-4-903996-8, ¥9000E(青簡舎:簡については日ではなく月)

 幻とされていた "竹内本「あきのゝ」帖" の全容公開と,これまで定本とされていた "安田本" より "竹内本" への採録歌数も多く,"竹内本" が良寛の基のものであるとの綿密な論考.快挙である.古いものや籍は行くべき人のところへ行く,という典型例でもある.




古美術「圓井雅選堂」(まるいがせんどう)

 大阪市中央区高麗橋 4-4-21,淀屋橋から歩いて 5 分くらい.<06>6231-7138 

 圓井謙三郎,愼一郎父子の店.店に近づき,目に入るたたずまいから,その内側にあるものがどのようなもので,そこがどのようなところか想像できないのであれば,まだ入ってはいけない.私はその段階にないのに入ってしまった.ご主人と話していると心身が浄化される.ご子息も極めて礼儀正しく,その立居振舞はかっての若者はかようであったかとの思いを募らせる.上等のものが出てきて,眼福を得ること必定.稀有の存在ではないか.存在そのものを大阪が誇ってよい.





他人の手を経る / 相対評価

 古美術とか骨董とか言われるものを買うことがある.上にも書いたが,ちょっとしたきっかけからこれは始まった.ただし,骨董という言葉はその響きをも含めて好まない.古美術というのも自分で使う言葉ではない.まだ新参なので気持が動く範囲は狭く,江戸末期の書画軸が中心で,その周辺が少し含まれる程度である.気骨,胆力,深い呼吸をその中に見る.我々が失って久しい自然と精神の充実,静謐とがそこにある.

 魅せられた軸があったときには必ず動揺する.何を最初に思うかというと,それを持っていた人がなぜ売ったのか,ということである.私の手に届くものはいまのところ高くても売値で数十万円というものであるから,対価のすべてがその人の懐に入ったとしても大した金額ではない.もともと貧乏なら所持しているわけがないから,前の持主はかつて裕福か,少なくともかつて日常生活には困らない人であったはずである.裕福で,古美術を賞玩する余裕を持つ人が,僅かな受取額で手放すというのはどういうことであろうか.有為転変は世のならいであるし,いまはバブル経済もはじけ,世界同時不況突入かという時代であるから,かつての資産家が破産に至って不思議はない.それなら,衰微し,とにかく金がいるので売る気になったということか.それで人格高潔なのか.衰微した人,衰微した家から出てきたものに違いないとすると,そういうものはなにか悪い因縁を引きずっているのではなかろうか,そのうえそのとき,前の持主はどうしても手放したくないので,惜しみに惜しみ,泣く泣くのことであったのだろうから,その怨念がくっついて来ているかもしれない,そんなものには係わりたくない,とはいうものの,そこにあるものは私をとらえて放さない.

 不動産でもそうだが,あいだに仲介者があれば,関係は仲介者とのあいだでのことだけだから,そういう悪しき因縁は仲介者が引き受けて,そこでリセットされたような気持になれる.軸を買うにあたっても,そのためにこそ古美術商が要る,とかなりながく考えていた.ところが,ある年の十二月,「"そのもの" を所持して,それがすんなり収まる人のところへ "そのもの" が動いて行く」 ものであるという,そのように大阪,北浜にある 玄海樓 の 野元 淳 氏から教わった.氏が知るかぎり,買った人に悪い因縁がついてまわったというような験しはないという.

 一方,金に困らなくても売ってしまうということもあるのではないかと思わせる,そういう例を見た.かつて益田鈍翁所蔵品であったという尾形光琳の画軸が Yahoo Auction に出た.鈍翁の印譜も付いているとのことである.これくらいの売立になると東西の美術倶楽部に行くのが当然であるところ,なぜ Yahoo Auction で十数万円で取り引きされるということになるのであろうか.コンピュータにつながったディスプレイモニタ上で見るかぎり,それなりの立派なものであった.昭和二年紀元社発行,「日本畫家辞典落款編」 の落款/印譜とを照らし合わせてみたけれども,真筆真印との差を見いだせなかった.これをどう考えるか.鈍翁があるとき所持していたことは真かもしれない.しかし,彼はそれ以外の光琳も入手したであろう.そして共に飽かず眺めた時期があったと想像する.時間の経過ともにそこに厳然たる差を見るに至ったのではなかろうか.これはやはり贋作か,もしくは鈍翁が自分で所持し続けるにあたいしないと判断したものなのではないか.

 一品だけでそれがどの程度のものかを判断して過たない,というところに至るのは容易なことではない.けれども比較ならそう難しくない.その代表例はワインテイスティングである.複数のグラスに注がれたワインを飲み較べて,自分の好みのものを決めることは誰にでもできる.オーディオもその例として挙げ得る.オーディオに凝って,スピーカやアンプを物色しだすとそれはまた限りの無いものである.あるスピーカが出す音の質の高さは必ずしもその値段とリニアな関係にあるわけではなく,評価の個人差は免れない.けれども,左右あわせて一万円のスピーカと五十万円のそれとを交互に聴き較べると,音ないし音楽について後者が劣るということはめったにない.金額で言うのは品のないことだが,例を挙げるのに他に手法が見当たらないのでこのまま続ける.万円台でとある二種を較べて,好みを含めた優劣を付けても,優の側の値段が劣のそれとほとんどかわらないことや,価格の上下が逆転していることがあったが,十万円にごく近いあたりから上のものを比較して一方より他方が優れていると判断されたとき,逆転はまず無くて,その価格差は大雑把に言って二倍であった.それゆえ五種を較べると,上下端での価格差は十六倍にも拡がっているのであった.このことはワインにもまたほぼ同じようにあてはまる.相対比較はそう難しくないということが美術品についてもあてはまるであろう.


Back to Homepage