時間を割いても行きたい店,国外編 |
ウィーン風フレンチレストラン.ウィーンで五指に入るレストランといわれており,ワインのストックでも他を圧倒しているらしい.レストランは一階にあり,屋内と温室風のウインターガーデンに分かれている.二階より上がペンションになっているので,そこに泊まることにしておきさえすれば,レストランでもうこれ以上は無理というところまで食べても,這って上がって,すぐに寝ればよい.
フルコースの定食では,初めはルンルンだけれども,終わりの方は苦しいほどになる.しかし,ワゴンでサービスされるチーズ,デザートまで,ほぼすべてを平らげることができる.夕食なら三時間はみておかねばならない.支払は日本でのそれの半額くらい.旧市街,いわゆる一区内ではなく,西駅に比較的近いところなので,よい場所とはいえないが,夜でも危険はない.地下鉄の駅と市電の停留所がすぐそばにあり,シュテファン寺院まで
20 分で行ける.
* 2004 年 5 月,ここの経営者が Ursula u. Rudolf Kellner ファミリから Valentina Leimer という人に変わり,料理は Günter Kitzler のチームが出すと報道された."localtipp.at", "Altwienerhof ganz neu", http://lokaltipp.at/jsp-content/artikel_9_400 で見た.Kellner ファミリは 1929 年からやっていたらしい.Gault Millau がずっと 16/20 をつけてきたが,現在の評価は知らない."3sat" というテレヴィ局の 記事 では Rudolf Kellner 氏は 2005 年 4 月 に亡くなったという.そこには彼の料理のレシピが三つ掲載されている.どういうところでも結局は人で持っていると教えられる.永らく Altwienerhof にいた Robert Wallner が自分の店を持ったということが Speising に 紹介 されており,当面 Altwienerhof にはほとんど期待できない模様.
Hotel Podewils Gdansk |
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グダンスクでは街が,特に夜の旧市街が,すばらしい.かつてのハンザ都市のひとつである.ドイツのハンブルク,ノルウェーのベルゲン/トロンハイムなどと,港,岸壁に沿った倉庫のたたずまいに多くの共通点を見いだすことができる.もちろん,まだ十分修復されているとはいえない.しかし,街はなんともたとえようのない,しっとりした感じにつつまれている. |
むかしベルゲンの鉄道駅舎内にあるカフェで塩茹で小海老をのせた焼きポテトを食べた,それとほぼ同じものがグダンスクの旧市街にもあった.アンデルセンの生地,デンマークのオーデンセでも食べた記憶がある.白ワインとともにとれば我々には軽い昼食になる.日本でもそのうち流行るかもしれない. |
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アメリカでも欧州でも,ホテルには週末料金が設定されていて,たいていは半額程度になる.週の 3 日,金・土・日曜日の夜がそれというところもある.夏休み料金という設定もたまにあって,その間は平日でも低料金である.ベルリンがそうであった. |
このホテルには数室しか部屋がない.あわせて 15 人が泊まれるかどうかという規模である.18 世紀には商館であったらしい.河に向いた三階の部屋とその部屋からの眺めの美しさについて,言葉は要らない.齢を重ねると,どんどん小振りのホテルを好むようになり,この程度の贅沢を自分に許さなければならなくなる. グダンスクでは先年,駅前のホリディ・インに泊まったが,そのときはここの存在を知らなかった.二回目の訪問でここに泊まった.泊まる機会を一回逃しただけで残念なことをしたという思いが募る. |
ここも部屋数は多くない.エルベ河の北側,新市街にある.ゼンパーオーパァがはねたあと,そこから橋 Augustusbrücke を渡って歩いて帰ることができる.ドレスデンのたたずまいは言わずもがな,深夜に橋をゆっくり歩いて渡るその愉しみをここで知った.ホテルではレストラン "Caroussel" がすばらしい.しかしながら,ゼンパーオーパァでは夜の 8 時に始まり,夜中の 12 時 30 分までというような公演が多いから,ここでゆっくり食事をする時間を捻出することはまず困難である.ランチもなかなからしい.
5 月下旬から 6 月初旬にかけて "Dresdner Musikfestspiele" が開かれる.地味ながらこの催しの中味の充実には目をみはる.駅や街路には垂れ幕ひとつないが,開演時刻が近づくと三々五々集まってきて,自然と会場の席が埋まり,いつのまにか始まっている.大人の社会とはそういうものなのだろう.感心なことに,ヤクルトが 2004 年のメインスポンサーになっていた.7 月末には翌年初夏のスケヂュールが出演者を含めすべて決まっているのに驚く.一度切符を買っただけでも,その後,何年間もプログラムを送ってくれる.これを眺めて想像するのもまた愉しみである.
車がないとちょっと行きにくい.私はレンタカーで行った (Avis, Opel Vectra w/Manual Transmission).Schneeberg はエアツ山脈中腹の小さな町で,Aue はとなり町である.Address からも分かるように,町の中心,Markt に面したよい場所にある.しかし人影はまばら.町だけでなく,ここに至る周辺もあわせて人口密度が低い.Aue の方がもう少し町としての活気がある.このあたりは昔は金属鉱山が多かったようで,近くの道には Silberstraße の名がある.ここもペンションつきのレストランである.出て来るものにはイタリア料理の影響が強いように思う.料理,一品一品の量が多いので注意.ここでも夕食には三時間かかる.この町には他に適当なホテルがないようである.ここをミシュランの赤本で見つけた.旅程を調整するのにちょうどよい位置にあったので行ってみたのである.
あとで知ったことだが,ミシュランにだけでなく,ドイツのバッテリ会社 Varta が運営するホテル・レストランガイド |
Silberstraße とともに,このときレンタカーで走った Rennsteig を含むテューリンゲンの森のことは忘れられない.旧東ドイツ時代,一般人の立入が禁止され,政治局員専用の狩の場になっていたとのことである.ベルリンの壁と同じ意味を持たせていたのであろう.2 時間ほど走って,そのあいだに 2 台の車とすれちがっただけ,人の姿もほとんど見なかった.富士朝霧高原と較べると木立の高さは二倍,広さは数百倍ではないだろうか.6 月初旬の深い森,僅かに届くこもれび.至福というよりなかった.観光資源として喧伝される前に行くべし.
ワイマールでは最も由緒あるホテルということである.まず内装の統一感にうたれる.また,アナ・アマーリア Anna Amalia という主食堂が,雰囲気,料理,サービスそれぞれに秀逸である.そこでは静かな時間が静かに経過する.地下のケラー Elephantenkeller もきさくでよい.かつては Kempinski チェーンであったが,いまは Sheraton チェーンになっている.
* Anna Amalia Bibliothek アナ・アマーリア図書館で 2004 年 9 月初旬に火災が生じ,蔵書 3 万冊が失われたとのことである.建物も貴重であるが,さぞかし貴重な書籍であったと思われる.
むかしなつかしい,かのフリードリッヒシュトラーセ駅の北側,川向こうにある.この駅のホーム,いまは西端 (Zoo 側) の出口も開いているので,そこから行くとずいぶん近いところである.そちらを通ると人通りも少なく,ホームを下りる階段が川を渡る橋になっていて,そこに今も旧東側の雰囲気を垣間見ることができる.ベルリンでケルシュ・ビールを飲むならここ.グラスはそれにあわせて小さい.夕食に行くのは勧められないが昼食にはよい.
「フランクフルト便り」 という Website, http://www.okada.de/ にも出ている. 「むかしなつかしい,かのフリードリッヒシュトラーセ駅」 というのは,かつてそこが東西ベルリンの境界,もしくは国境の駅であって,西ベルリンの S バーンはそこが終点.西側から着くと全員降りて階段を下る.そこに薄暗い Check Point があり,それを通過するとその先の階段を昇る.そこから東ベルリンの S バーンが発車する.「むかしなつかしい」 といっても良い思い出というわけではない.でもなつかしい. |
最近 Hotel Künstlerheim Luise から "Arte Luise Kunsthotel" に改名した.
ベルリンの Tegel 空港から出入りしてドイツ各地やポーランドに行くというのが続いた.ベルリンで往き復りにそれぞれ一泊することになる.
英経済誌 The Economist の Web site にある Cities Guide, http://www.economist.com/cities/ の Hotels of Berlin, Easy on the pocket 筆頭にあがっているのを見て,初めてここに泊まった.往き復りの中間に一週間くらいあいだがあると,一度の機会が二度のように思えて,もう何度も泊まったような気になってくる.フロントデスクにいる人達もおまえは何度も来ているなという顔つきである.確かに,それくらいの回数は泊まっている.ベルリンはまだ慢性的なホテル不足であって,どこもけっこうな値段であるが,ここは 100 € 以下なので文句はいえない.旧館にある,シャワーが廊下の端という部屋ならぐっと割安になる (スリッパ持参は必須).
Art Hotel は最近の一種の流行かもしれず,プラハにもあり,クラクフにもあった.部屋代はわずかながら高いのかもしれないが,そのホテルに泊まることで,まだ名の出ない若い絵描きを応援するということになるのであろう.ベルリンのここはその代表格である.新館はさらに鉄道の高架に接近しており,しばしば充てられる部屋では,室内に懸けられている鉄道関連図柄の油絵,その額縁と部屋の窓枠とが同じように作ってあって,窓のブラインドをあげると実際に動いている列車が額縁の中に収まるという趣向になっている.レールが敷かれた高架の高さと部屋の床とがほぼ同じ高さで,それがすぐ眼の前にあるのである.それでも,二重ガラス窓の立て付けがしっかりしているのか,列車の騒音で寝られないというような心配は無い.
最寄り駅はフリードリッヒシュトラーセであり,上に書いた Ständige Vertretung (Stäv) の横を通ってさらに三分くらい歩けば着く.荷物を置いて引き返し,ケルシュを二杯飲み,また戻ってすぐに寝ると,比較的早く時差が取れるということも経験した.
Tegel 空港から TXL というバスに十五分くらい乗り,Karlplatz で降りればすぐに見つけれられよう.ただし,この停留所の場所はコロコロ変わる.特に Tegel 空港行きが. |
Staatsoper Unter den Linden や Konzerthaus Berlin にも歩いて行ける.U バーンに乗っても一駅だけ.この宿の向かいの建物は かつて森鴎外が住んでいたところ である.いちど入ってみたいが,内部を見る機会に恵まれない.最近この建物の外壁が塗り替えられて,みすぼらしさはかなり減った.
この http://www.economist.com/cities/ に "Insider tips" というところがあり,そこの 「東京」 の欄に
Tokyo: Don't expect an immediate response to anything. Decisions are usually made collectively, and answers typically take much longer than in Western companies... とあって,思わず笑ってしまった.そこの 「Moscow」, "Airport" の記述なども実に的確かつ有用,事前閲覧必須.
プラハといわずチェコでビールを飲むのは,四国でうどんを喰うようなもので,どこで飲もうがあたりはずれが少なく,すっきりとうまい.平均値は高く,最低といえども,他の中堅どころに近い.この店は山手ふうの地域にある.レストランではなくビールを飲ませるところなので,本格的な食事はできない.目立たないたたずまいで見過ごしやすい.プラハ城の正門を出て真っ直ぐ歩き,右手に正しく聖母教会 "Loreta" となったときその左手にある.ここでは "Velkopopovicky kozel 12" というのを飲んだ.実に冷涼鮮烈,さわやかな苦味は他に例がない.プラハ城の中庭で昼になったため,先にビールを 0.3 リットル飲んでしまっていたし,着いた翌日の時差ぼけで,0.3 リットルのグラスわずか二杯しか飲めなかった.混んでいたので同席させてくれた連中はそれぞれに 0.5 リットルを六杯も空けていたというのに.値段は 0.3 リットルでわずかに 12.60Kc であった (このときの為替レートは 1Kc : 4JP¥ である).
シュナップスをチェーサにして 0.3 リットルのビール,それぞれグラス一杯ずつそれだけを,入ったところの棚に身体を預けて飲む人物があまりに決まっているので,写真を撮らせてもらった.店のおやじさんは口数少ないながら,なかなかの切れ者と見た.
プラハでは,有名な "U zlateho tygra" などにも足を運んだが,ここのビールはそれらより遥かに,ある高みに達していた.
Berlin の KaDeWe に Tschechische Bierbar があり,そこでチェコのビール,ピルスナ ウルケル Pilsner Urquell, Plzensky Prazdroj やバドワイザ ブドゥワル Budweiser Budwar, あともうひとつややダークなもの (名称をよく見てこなかった) が飲める.もちろん瓶入ではなく樽から注がれる.ただし価格はチェコで飲むのの六倍くらい.冷え具合や味はまあ KaDeWe で出しているのだから,差が大きいというような心配はない.夕刻には常連客で混みあう.
本格的レストランである.客が入っている.数時間前にしろ予約しておかないといけない.二人で少なくとも 3000Kc くらいはかかる.プラハで普通のところへ行けばワインを飲んでも二人の夕食で 1000Kc くらい.それに較べればずいぶんということになるが,その値打ちはある.魚などが良いとされているようであるが,それよりもここの真骨張は "Game" 猟鳥家禽にあると思う.レストランに行くにも体力が要ることをここで改めて知らされた.それぞれの皿が強いので,料理の選択,その組み合わせがそこで愉しめるかどうかの成否を決め,ひとつ間違うとおそらく面白くないことになるだろう.まずは,軽いアペリティーフ,可能ならペリエでも頼んで,穴のあくほどメニュをながめて自らと格闘する必要がある.あるいは昼間に店の前を通って,入口近くに張ってあるメニュを見て,ゆっくりと夕食の作戦を練っておくか.
写真はバーカウンタのある部屋のもの.多少少女趣味のきらいはあるが,その奥に見える部屋に席を占めるのがよい.この写真の手前にもまた別の部屋がある. |
クラクフ旧市街から西へ行った Wisla 河沿いにある比較的小さなホテルで,"Art Hotel" と名乗っている.Art Hotel は最近の一種の流行かもしれず,ベルリンにも Hotel Künstlerheim Luise というのが Luisenstrasse
にある.ベルリンのそれは鉄道の高架沿いにあり,室内に懸けられている鉄道関連図柄の油絵,その額縁と部屋の窓枠とが同じように作ってあって,窓のブラインドを揚げると動いている列車が額縁の中に収まるという趣向になっていた.Art
Hotel というところはプラハにもある.部屋代はわずかながら高いのかもしれないが,そのホテルに泊まることで,まだ名の出ない若い絵描きを応援するということになるのであろう.クラクフのこのホテルにはベルリンのそこまでの趣向はないが種々のモダンアートで装飾されている.
ホテルの裏側には旧市街までトラムが走っており,乗れば 10 分もかからない.飛び切り広い部屋ではないが,調度はまずまずで,掃除が行き届いている.朝食もおいしい.部屋代も高くない.プラハから夜行寝台で朝クラクフについて,六時半には部屋に入ってシャワーを浴びたりしたが追加料金もなかった.また土曜日だったので週末割引料金だった.
部屋からの Wisla 河の眺め (写真:朝明けと午後) だけでなく附属のレストラン Niebieska がよい.泊まった夜には他の客に会わないというほどに空いていたが,中味はまっとうなものであった.アペタイザに取った海老や鰊などが特によかった.良い食材を豊富に持っているようで,メニュは充実している.なにより,「食べ過ぎたり飲み過ぎたりしても,這って上がって寝ればよい」
という条件にかなっている.
ヴロツワウ (ブロツラフ) Wroclaw, Breslau では旧市広場にあるレストラン Piwnica Swidnicka, Rynek Ratusz 1 が有名どころであるが,一人での夕食なのでもっと気楽なところでと思い,その隣にある Spitz という地ビール屋で Smoked Rib のグリル, 30 zl を食べたのだが,これがなかなか良かった.ホースラディッシュ Kren や芥子 Senf, やや甘目の Dip (ドイツ語ではどう言うんでしたっけ) がそれぞれ小さなカップに添えられているのだが,そのホースラディッシュが乾き過ぎず水っぽくなく,それが肉の香ばしさを見事に引き立てた.時差が残る身体なので,少食たらざるを得ないところ,すべて平らげ,White Pils 0.3 リットル, 4.2 zl を二杯飲んでしまった.このビールも頼りないような,やや温いような,少し変わった味なのだが,それがまた食べ物とよく合った.最初,右手の Bar に入り,パンにラードをぬったものとともに Dunkel 0.3 リットルを干してから左手のレストランに移り,前菜に生鰊を賞味してからのことである.食後のデザートはそこでとらず,
Coffee Heaven, Swidnicka 3, Wroclaw, Tel.: 071 341 85 92
へ行って Esspresso macchiato, 6.50 zl で仕上げた.この店はワルシャワにも見つけられるが,出てくるものは国際的に通用するレヴェルにある.ラテも Seattle で飲むそれとほぼ同格である.Wroclaw から南へ 100 km のところにあるリゾート,Polanica Zdrój への往復両端で Wroclaw に宿を取らざるを得なかった,そのたびに街を歩き,道をいくらか迂回してでもここへ立ち寄った.
Wroclaw で泊まったのは この都市発祥のいわれとも深く関連し,最古地区といわれる寺院島に極々近い場所にある.上に書いた Hotel Podewils Gdansk のような高級ホテルではないが,小川というかチャネルというか,川の交差する地点に建っているその Location
が似ている.土曜日の午後にはボートの練習風景を窓の下に見て楽しめる.鉄橋二本が角を引き回しており,そこを市電が通るときのノイズで寝付きが悪くなる可能性があるのは難だが,歩き回って疲れて帰ってくれば,すぐに夢うつつ. |
1980 年代には,パリまで飛行機で行き鉄道に乗り継ぐというやりかたで,ほとんど毎夏,学会に出席していた.往復の航空券と到着/出発時のホテル各一泊という旅行企画が当時学生向けに売り出されており,それにのっかったのだが,フランクフルト発着などに較べてパリ発着の方が低価格であることが多かった.その程度にまだ若かった.一回の旅でパリを二回通過するのだが,三週間もかかるような旅だと,帰国のためにパリに戻ったときには夏から秋に季節が変わっていて,ひとつで二度美味しい飴をなめて得をしたような気持になった.時間調整のための短い滞在であることもあって,高級レストランへ行こうという意向はもともとなく,かつての「地球の歩き方」に安いと出ていたのを幸い,ここで夕食をとった. ここではテーブルクロスは布ではなくて紙であり,その紙に注文した皿の勘定が手早く書きつけられるのであった.しかし,紙であろうとも,食事のためにはテーブルの大きさ以上のものを必ず敷くというのはその国の良き生活様式であり,そこではまたウェイタは一生続ける真っ当な仕事であることを知った. |
出てくる料理がとびきりうまいというわけではないが,伝統的なコースを組むための選択肢が備えられていてぬかりなく,建物,内装と相俟って,一品豪華主義とは正反対の持続可能な生活とはどういうものかを知らしめる.パリで学生生活を送る幸せというものがあるなら,こういうところが多数存在することもその要件に入るだろう.名古屋にはなかったし,いまもない.1993 年夏以来訪れる機会が巡ってこない.2004 年 6 月には是非と思っていたがまた機会を逸した.
「パリジャンのレシピ,Recettes Parisiennes」 アレクサンドル・カマス Alexandre Cammas,上野万梨子監修・訳 ISBN4-579-20686-X, ¥1300E 文化出版局,1999 年 10 月,を読んだらここが何回か出てきた.それでまた行ってみたくなった.
ブルージュには 1980 年代初期に行ったきりであったから,二十数年振りである.駅などを含め,街のあちこちで補修が進められていた.ベルギーは変化のあまり感じられない国で,首都ブリュッセルの駅や,そのあたりの雰囲気など,年を経ても差はほとんど感じられないのに,ブルージュは特別なのであろうか.
ここは,The old-style Flemish restaurant, unchanged in decades とどこかの記事にあり,内装とともに,料理も昔からの内容を維持しているようである.観光客が歩き回っていない地区にあるが,中心からもちろん容易に歩いて行ける.張り出し看板などは出ていないので,前まで行かないと確認できない.外からは僅かに Cutlery の音がするだけであるから,どうせ客は一組くらいだろうとドアを開けてみて,テーブルに空きがあればまずは幸運.地元の馴染みが客の大半を占めていて,運が悪いと一時間半後にと言われる.角を曲がったところにあるごくごく小さな八室のホテル, |
Hotel De Pauw
Sint Gilliskerkhof 8, 8000 Brugge, België
Tel.: 050 33 71 18, Fax.: 050 34 51 40
info@hoteldepauw.be, www.hoteldepauw.be/
と同じ Philippe en Hilde Desbuquois という夫婦の経営.魚も良いし,肉もなかなか.煮込みの汁や付いてくるソースが特筆にあたいしよう.歴史に育まれた落ち着きのある味が堪能できる.値段も決して高くない.医学関係の学会で,Accompanying Person's Tour の昼食にここが指定されているのを見た.英語もよく通じる.
やはり近所のホテル,
Hotel Ter Duinen, Langerei 52, http://www.terduinenhotel.be/
Hotel Jacobs Bruges, Baliestraat 1, http://www.hoteljacobs.be/
などでもこのビストロを推薦している.うまく宿を選べば,食べ過ぎても,飲み過ぎても這って帰って眠ればよい.ベルギービールももちろんある.
Le Sept Place St-Sernin |
ピレネーを越えたらヨーロッパでないとしばしば言われるが,トゥールーズでは六月前半で早くも,日中は強烈な日射と路面・建物からの照り返しで,スペインにいるのとほとんどかわらない灼熱.ピレネーを越えずともシエスタは必須.太陽が地平線下に隠れるのは夜八時,そこから十時までが "Evening".我国では陽が歿するとすぐに暗くなってきて,この "Evening" は短いどころかほとんどない.これについてはヨーロッパに来るといつも羨ましく思う.夜八時を待ち切れず七時半に夕食の席に着くと斜めの強い日差しが顔に当たってレストランはまだがらがら.しかし,トゥールーズでちょっとまともなところは予約しておかないとこの時間でもめったに坐れない.八時になると全席がうずまる.
トゥールーズといえば,Guide Michelin 二つ星の Michel Sarran や一つ星の Les Jardins de l'Opéra が有名どころであるが,前者はなかなかの人気で,思ったときには予約が取れず,後者は華麗さが売物なので性に合わない.
このレストランは学会の会場,Centre de Congres Pierre Baudis からホテルへ帰る途中で見つけたところである.その店名はその場所のところ番地と同じ.ポロシャツでも行ける比較的気楽なところであるうえ,かなり値打ちな定食もあり,デザートも秀逸.トゥールーズの食べ物として知られているのは Foie gras, Canard, Cassoulet などであろうが,このレストランではそれらは主要ではなく,地中海の魚などに良いものがある.地ワインは Gaillac, Frontonnais, Gascogne など.シェフは Benoît Cantalloube.Gault Millau では Michel Sarran の 17 点に対してここは 14 点となっている. |
トゥールーズで Capitole 広場近くに宿を取れば,たいていのところは徒歩 20 分圏内にある.しかし,それゆえに交通機関に頼ることがないから,どこもここも歩いて巡ることになり,たちまち足が棒のようで,体温が下がらない. |
市内中央の Capitole 広場からほど近いところに Victor Hugo 市場があり,そこの二階がレストラン街になっている.昼食のみだが,ここでなら懐はほとんど軽くならない.
フィレンツェの優雅さを極めた,あるいは浅ましきブティック街,トルナブオーニ通り Via de' Tornabuoni の北はずれ,Duomo からならペーコリ通り Via de' Pecori の西はずれ,アンティノリ広場に面した質実剛健そうなアンティノリ宮殿 Palazzo Antinori はワイン商 Marchesi Antinori s.r.l. の建物で,その一階に事務所がある.事務所の手前中庭をおいて Wine Bar があり,ワインだけでなく,料理も充分な選択肢で用意されている (Web に出ている Menu だけでは決してない).ここではワインを先に選ぶか料理を先に選ぶか,いずれであっても料理とワインの組み合わせで期待を裏切られることはない.通常,レストランに二人で入って取るワインは一壜,多くても二壜であるが,ここではワインリストにあるものほほすべてグラスでも出してくれるので,料理とワインを一対一に合わせることができる.一人分の料理を二人で Share するようにも計らってくれる.それぞれのワイン,料理ともにその凛とした端正さと鮮烈さに驚かされる.まさに至福の時.黒服とウェイタの対応も並のレストランのそれではなく,こちらの好みを先取りするかというふうであるが,一線を越えることがない.
二晩で十銘柄くらいのワインを相談しながら決めて飲むことができた.そのうちのいくつかを下に記しておく.San Giovanni はあたかも Riesling のよう.赤ワインに合わせた料理は順に子牛の煮込み,兎の煮込み.
一月,月曜日の夜 7 時の開店とほぼ同時に予約無しに行って,この晩は比較的空いていたが,翌晩火曜日は中二階の席も含めて満席で,店に置いてあるメニュが足りないほどであった.グラスでのワインの価格は €3 から €6 と極めて Reasonable.料理の価格も内容からして高くはない.Antipasto €10 から €16,Secondo Piatto の高い方で €25,Dessert €8,Coperto なし.サービス料 10% が加算されるが,それでは少ない気がする.
グラスワインといえども,我国のレストランの為業のように,良心的なところでも一壜で六杯取りというようなことではなく,その倍くらいの量が気前よく注がれる.
Vermentino - Bolgheri DOC Antinori Camillo - Toscana Bianco |
九箇月後の十一月に再訪した.サラミとハムの Cold Cut €17,"Ribolita" という黒キャベツのスープ €15,"Maltagliati alla cernia, 英語で Pasta home made with grouper ragúi €29" などを食した.最後者はハタ科の魚が入ったものであるが,赤であわせた.薦められたワインをそのまま諒承して,後程確認してみたら,上掲のものから一歩もでていなかったが,やはり満足した.黒服マネージャが名刺をくれて,Daniele Benci という人と知られた.
「イタリーでは飯がうまい」と言われるが,それは良いところに当たったときだけのことであって,"やらずぼったくり" というところも少なくないので,平均値は必ずしも高くない.すなわち,店を選ばないといけない.仮に予約しておいても,入った瞬間に,店の雰囲気,黒服の人相,ウェイターの動きなどを見て大丈夫そうかどうかを判断し,疑問があればそこで直ちに出てくることも辞さないという心構えが必要である.また,たいていは週休二日であるうえ,日曜日には閉めるところが大半であるから,日曜の夕食をどこでとるかについては周到な事前調査が必須.
上のフィレンツェでの口福から,ローマでも Wine Bar を物色した.ここはワイン商 Trimani s.r.l. の店舗の角を曲がったところにある.Termini 駅から歩いて行ける.Carla Trimani & Francesco Trimani が責任者とあるので,親族で経営していると知られる.フィレンツェの Cantinetta Antinori はテーブルクロスに布ナプキンという店であるが,こちらは夜に行っても裸の木のテーブル,食事には A3 サイズの紙を各自の前に置くが,ワインの注文だけだと,丸い紙のグラス敷きだけという気安さ.料理を二人で Share しても,もちろん問題ない.料理のメニュは Today's Specials から始まり,かなりの頻度で変わっているらしく,四日後に訪れたら前に見た品目は三割足らずであった.この日には別刷りで生牡蠣 Ostrica: Fines de Binic n.3, Cadoret Perle n.2 なども出ていて,高い方は一個ずつ注文できた.
料理も斬新である.イタリア料理だけが供されるわけではない.魚のスープ Zuppa di pesce,烏賊も入ったブイヤベーズ風,トーストしたパンも浸かっているもの,なかなかの出来であったが €15.Antipasto なのか Primo piatto, Secondo piatto なのか分からないが,フォアグラ Foie Gras d'oca en bloc €20,ローストビーフ Arrosto de manzo piemo €14 など,それぞれに工夫がある.Dessert 類 €8,こちらにも特筆に値するものがある.Coperto やサービス料加算はない.
グラスで注文できるワインは 30 種くらい.ここで選んでもらったもので記憶しているのは以下.三番目のものが比較的高価で €8. |
Terre Bianche Pigato Riviera Ligure di Ponente DOC, 2010 - Liguria Bianco
Ka Mancine Beragna Rossese di Dolceacqua DOC, 2011 - Liguria Rosso
Tenuta di Ghizzano Veneroso IGT, 2005 - Toscana Rosso
ローマの Wine Bar については,The Guardian の記事 が英国人の食への思いを垣間見られて面白い.また,ワインを飲むために食事するという手法がイタリー以外では成立していないことが述べられている.
Locanda del Menarost
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ミラノに行ったのなら,Four Seasons Hotel に泊まり,一大ブランド街である Via Montenapoleone や Via della Spiga を徘徊して,既製服屋の Kiton とか Luciano Barbera に立ち寄るということであるのかもしれない.あるいは,Via Gesù にある Brioni か.M. Bardelli はそのあたりにではなく,最後の晩餐で名高い Santa Maria delle Grazie 教会からそう遠くないところに静かに店を構えている.と言うより,知る人ぞ知る Bernardino Luini ベルナルディーノ・ルイーニ晩年のフレスコ画が残る San Maurizio al Monasteto Maggiore マッジョーレ修道院のサン・マウリツィオ教会の並びという方が分かりやすい.イタリアのクリスマス菓子 Panettone で知られた Pasticceria Marchesi パスティッチェリア・マルケージ にも近い.
イタリア人全体にも当てはまることであるが,特にミラノ人は男女を問わず "着倒れ" と言え,コート,靴,鞄に凝ってお金をかけている.
ミラノにおける紳士服のレヴェルがどの程度のものであるかは上述の Kiton とか Luciano Barbera に入ってみれば直ちに判る.もちろん Brioni でも.しかし,この店に並んでいるものは,それらや Giorgio Armani などとは一線を画し,むしろ British Traditional に近く,米国東海岸流でもある.Brooks Brothers に馴染んできた者にも,欧州に来ればここ以外にはないと思わせるものが陳列されている.価格も当然それなりではあるが,決して無茶なものではない. Teatro alla Scalla から Montenapoleone へ通じる Via Manzoni を走る Tram, Linea #1 の車輌は 1928 年製造にちなんだ "Ventotto" と呼ばれる ATM Class 1500. |
Domus Vini, Passaggio dei Canonici Lateranensi 21 という Ristorante/Enoteca へ行こうと思っていたのだが,土曜日で貸し切りになっていたので,泊まったホテルのレセプションに教えてもらって行った.
Domus Vini より格段に手軽な店であるが,繁盛している.入ったところが Bistro になっている.食事をするかと訊かれて Si と答えると奥の方へ導かれるので,それを断って Bistro のカウンタに腰掛ける方がよい.やや年配,細身の小父さんが一手にハムを切ったり,チーズを盛ったりするのを飽かず眺めながら,ワインのグラスを重ねる.チーズ盛りを頼んだあと,食事メニュから一品選んで持ってきてもらった.スペイン式のタパスを盛り合わせたものもある.Bistro Menu 1, Bistro Menu 2 |
ミラノから鉄道で小一時間,ベルガノにつくとその清潔感にホッとする.無造作な駐車車輌で街路両側が埋まっているということがない.それに諸物価もミラノよりかなり低い.しかし,それはレヴェルが低いということではない.
ワインをグラス単位で出してくれず,Half-size bottles も置いてなくて,ワインはフルボトルのみというレストランには行きにくい.自宅での日常,夕食に二人でワインを飲んで,750 ml 壜の 2/3 を消費するという通算実績である.レストランで 750 ml 壜を 1 本取り,少し余して無駄をしたと思うわけではないが,イタリアでの夜の食事ならせめて二種類のワインを試したい.そうすると畢竟,食事処としては,グラスワインの種類が多く,あわせて出てくる料理も上等というところを選ぶということになる.Wine Bar とか Enoteca と名告るところがこれに該当するが,料理も間違いないという条件に叶うところはそれほど多くない.
ここは Roberto Badan という人の店.昼間,その前を歩いて通ったのに全くその存在に気付かなかった.夕刻,電話したうえでタクシーで行ったら確かに存在し,燈が点いていた.Gewürztraminer や Lagrein など,充分満足できるものであり,ワインを先に選んで,それに合う料理を向こうに任せて当たり外れがなかった.もっとも,こうしたやり方でワインを飲むと結局二人で 750 ml の 1.5 倍を飲むことになるのだが. |
Padova の街路,多くの歩道部分は Portico ポルティコ と呼ばれる回廊のような屋根付きになっている.この通りもそうである.この街路ぞいには Ristorante la Finestra という評判の店もある.
Padova は Venezia から西にわずか 40 km と近いところにあるが,Venezia がイタリアでも滞在に特別お金のかかる都市であるのに較べて,そうした浪費したという感じを全く与えることがない町である.Padova は聖アントニウス所縁の聖堂 Basillica di Sant'Antonio の門前町でもある.聖アントニウスに関しては,Mahler の歌曲 "Des Knaben Wunderhorn 子供の不思議な角笛" 第 7 曲:"Des Antonius von Padua Fischpredigt 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス" が憶い出され,さらには,Clemens Brentano ブレンターノと Achim von Arnim アルニムとの親交,そのころからある Heidelberg の Hotel "Goldener Hecht" などなど.聖アントニウスの説教をこの Hecht も聴いた.
しかし,この町での圧巻はなんといっても,Cappella degli Scrovegni スクロヴェーニ礼拝堂,またの名では円形競技場跡地に佇む Cappella dell'Arena にある Giotto di Bondone ジオットのフレスコ画.1302 年から 1305 年の作という.1312 年から 1313 年という意見もある.Giotto ジオットの解説を和文で読むなら,S. B. BistolettiI, 裾分一弘/尾形希和子:Gigli dell'Arte 1, Giotto ジョット, 1989,カンティーニ美術叢書,京都書院,ISBN4 7636-4100-X ならびに,N. Wolf: Giotto di Bondone ジョット・ディ・ボンドーネ,絵画の革新,2008, ニューベーシック・アート・シリーズ,Taschen タッシェン・ジャパン,ISBN 978-4-88783-349-4.それ以外に,増田朋幸:ビザンティンの聖堂美術,2011,中央公論新社,ISBN978-4-12-004248-5, pp. 126-132 がよい.
その他,Padova で見逃してならないのは Duomo に隣接する Battistero 洗礼堂.Scuola del Sant'Antonio サンタントニオ信者会の参事会議室.
Padova では Padova Card. 48 時間券が €16.これで大抵の見所に入れ,公共交通機関にも乗れる.ただし,駅にある Information Booth では売られていない.Padova の Tram は最新式低床型のスマートな筐体を持つもので,一本しかレールのない Translohr 式.架線から集電して路面のレールに流し,荷重はタイアで受け持つ.
ヴェネツィアではお札が湯水の如く出て行き,常に ATM から補充しないと財布がどんどん軽くなる.いくらか節約気味に進めたいと思って店を検索しておき,夕暮れに歩いて捜してみたが見当たらず,やむを得ず偶然に前を通りかかったところに入ったのであるが,節約の意向は果たせなかったものの,悪くなかった.60 人くらいには対応できる比較的大きなレストランである.使われている Tablecloth であるとか Cutlery などを見れば,ここがどの程度真当なレストランであるかが知られ,支払い額は低くはなくとも内容に添ったものと納得できる.結局二晩続けて行くこととなったが,両晩とも地元人のグループで込み合っていた.その間,やや騒々しいのが欠点である.グループだけでなく,二人ないし数人の個人客も次々にやってきて,8 時には満席になる.観光客は見かけなかった.喧噪を避けて二晩とも同じ隅のテーブルに座った.
グラスで頼めるワインは置かれていないが,Half-size bottle が何種類かあったのでそれらから二種選ぶというようなことにした.
肉料理も無いではないが,ここは魚貝類を得意としており,食べたもので失望したものはなく,塩鱈を解しほぐしてクリームであえた前菜が特に良かった.特筆すべきはパンが良いことであり,Grissino/Grissini グリッシーニを環状にしたようなものがその内でも抜群であった.ワインも吟味されている. |
2013 年 10 月末から 11 月上旬の北イタリア旅行では,ホテルだけでなく,良質の Bed & Breakfast を選んで試しに泊まってみる気になった.
ここはその第一弾で Beatrice Frangini という年配の婦人が提供する僅かに一室だけの B&B である.一室のみである上,TripAdvisor などでの評価も高いからかなり前に予約しないと部屋を確保できない.Lufthansa のミラノ便は北東にある Malpensa 空港にではなく,真東の Linate 空港に着くものが多く,もともとこの後者の空港は市中心まで 12 km くらいしか離れていないのに重ねて,この B&B がその空港と市中心との中間に位置するので,到着時の負担を慮って決めたのである.
受け答え,意思疎通は英語でほぼ完全にできるし,こちらの質問に対する回答も確実なものであった.19 世紀初め頃の建物の一区画,四,五,六階が内部階段で繋がっており,四階に Bedroom,浴室,居間がある.五階は端に朝食用のテーブル,残りは居間と台所,六階が住まいになっている.泊まるとこの四階を自由に使える.難があるとすれば唯一 Shower Booth が狭いことである.
ここの良さはそうしたこと以外に,朝食がすばらしいことで,イタリアではパンに感心することは滅多にないのに,近所によいパン屋があるのか,名古屋の Bruder に優るとも劣らず,Baguette, Semmel など毎朝少しづつ変わる.それに加えて Coffee が旨い.どういう淹れかたなのか分からないが,Espresso の四杯分にあたるとのことであった. |
B&B を渡り継ぐという旅行もないではないであろうが,City Hotel と交互にするくらいがよいと思われる.それぞれに長所短所があるからである.B&B での大きな問題点のひとつに,部屋に電話がないため,部屋から自分で気兼ねなくレストランを予約したりできないということがある.我国だけでなく欧州でも公衆電話の数は減っている.もうひとつの問題点はどこの B&B でも朝食は 8 時からということであり,8 時半とか 9 時の列車に乗る場合には頼んで 15 分早めてもらったり,前日の夜に作りおきしてもらったりしなければならないのが気兼ねである.Bergamo ベルガモの City Hotel では 6 時半から朝食がとれた.
Duomo など繁華街へ出るには Tram #27, 停留所:Piazza Giuseppe Grandi,Bus #54/61, 停留所:Corso Plebisciti Via Compagnoni.24時間乗車券 Abbonamento Giornaliero Urbano €4.50 を買っておけば楽である.これで地下鉄にも乗れる."Milano Tram Map" を事前に印刷して持って行けば迷うことがない.「最後の晩餐」のある Santa Maria delle Grazie 教会へ行くにも Cordusio などの停留所で Tram #27 から Tram #16 に乗り換えればよい.Linate 空港から Piazza Giuseppe Grandi へは Bus #73.この Bus でも市中心部へ行ける.交通機関に関してその他必要な資料は,
http://www.milano-italia.it/percorso/linea/293/autobus-54.html
http://www.milano-italia.it/percorso/linea/293/autobus-61.html
http://www.metromilano.it/mappa-metro-milano/
http://www.atm-mi.it/en/ViaggiaConNoi/Documents/mappacentromilano.pdf
http://www.atm-mi.it/en/ViaggiaConNoi/Documents/ReteMetroATM_feb2013.pdf
http://www.inmilano.com/mappa-cartina/mappa-autobus-milano
イタリア各都市の公共交通機関については,Tram, Bus, Vaporetto などを問わず,待ち時間を表示する Location System が設置されていて,その普及の程度は我国よりもはるかに高い.
Bed & Breakfast の第二弾がここ.1800 年ころの建物の四階,改装してあるが,天井にはフレスコ画が残る.部屋数はおそらく二室.16 世紀の邸宅が建ち並ぶ Via Garibaldi にも徒歩で行ける.
Genova というところが斯くまで坂の多い土地であるとは行ってみるまで分らなかった.年寄りにはきつい町である.年齢制限があると言ってもよい.Google Map で場所を確認して,最拡大でプリントしたものを持って行ったがここの所在に到達するのに骨が折れた.タクシーで Principe 駅から Piazza del Portello に至り,そこから一方通行急な登り坂の Via Caffaro,そのかなり上の方で降ろされた.捜しながら坂を降りて行ったが,皆目見当たらない.不動産屋やら食糧品屋やらが通りにあったのだが,日曜日で閉まっていてそこで尋ねようもない.通行人を呼び止めて訊いたが要領を得ない.焦った.通行人四人目で,なけなしのイタリア語彙を駆使して番地から見当をつけてもらい,その人の指示どおり,表通りから直角に伸びた道かどうか疑わしい狭い路を進むと呼び鈴のところに Lercari という表示があった.近隣に住まいする人でも,他人がどういう営業をしているかなどを知ってはいないので,まずはところ番地で押さえるよりないと悟った."8b/4" という番地は Via Caffaro そのものには面していないのである.後程,表通りの坂を登って来てその角まで来たら,ごく小さい字で B&B Lercari とか 8A, 8B とかの表示と矢印があることはあった.最初は下って行ったので見落としたのである.
このようにたどり着くのにも苦労したのだが,もともと,ここを予約する段階から英語が通じないという苦労があった.こちらはイタリア語については初心者とも言えないくらいの初心うぶであり,自分で作文できないから,babylon という Web Site で英伊変換をさせ,それを逆変換して狂っていないならそれの元を添えて e-mail を送るということでやってきた.その上,途中で宿泊料の 1/3 を Deposit として送金してくれと言われたりして,それはなんとか勘弁してもらったものの,事前に紆余曲折があった.Liguria 州の言葉はイタリア語の方言なのか,向こうから来る文面には babylon では変換できない単語が常に幾つか混じっているので,今便の意味はこういうことなのかと折り返し必ず確認しなければならなかった.それでも最後まで候補に残したのは,TripAdvisor で Genova & B&B を Keywords に検索するとここが Top に出てくるので,どういうところかとの興味があったからである.
采配している Stefania Medagliaという中年の婦人の気概に絆された ほだされた.到着時のワインによる歓迎とか,朝食に並べられた品数の豊富さとかから,Liguria 州や Genovese の食習慣について多くを学んだ.コンピュータを前にして Google Translation を使って意思疎通を図った.日本人宿泊客は初めてであったらしい. |
この宿の裏手に出て,勾配 25o はあろうかという石畳を 10 分くらいゼイゼイと息を切らして登ると Spianata Castelletto という高台に出て,そこからは雄大なパノラマが開けた.そこへは下から有料エレヴェータが設置されており,Bus ででも来られるようになっていた.Via Garibaldi には徒歩で降りた.そこにある Bookshop で買える Card Musei di Genova の 24 時間券は公共交通機関乗車券つきで €13.50.
Genova は観光地観光地というところではない.タクシー乗り場も少ない.坂が多いのに,疲れたらその近くでタクシーを拾うということができない.Ascensore というエレヴェータや Funicolare フニクラに乗ってまず上まで行き,そこから徒歩で降りるというのが Genova を巡るこつかも知れない.また,車輌一方通行の道が多く,バスはそのまま真っ直ぐ通れても,タクシーは大幅に迂回しなければならないという場合が多い.この B&B へは Principe 駅から Piazza del Portello まで Bus #34 で行けば比較的簡単なようである.Piazza del Portello から Brignole 駅には #39/40.日曜日にはほどほど以上のレストランはまず閉まっている.日曜日の Genova で満足のいく夕食をとることは諦めるに若く (しく) はない.事前調査をすればするほど暗澹とさせられる.日曜日が休みなのは常識に属するのか,自らの Web site にも休みと表示してないというところが少なくない.英国の案内サイト に "Dead Day" との表現があった.日曜日に Genova に泊まることにならざるを得ないのなら,五つ星の Hotel にして,中のレストランで夕食をというのが無難であろう.
ヴェネツィアでは Cannaregio 地区にある 10 室ばかりの Hotel/Locanda に泊まっていたのだが,そこから出るには各駅停船 Vaporetto #1 に乗るしかない.朝の帰国便に乗り遅れるといけないと思い,空港行きバスが発着するローマ広場まで歩いて行けるというところに最終の晩だけ泊まり換えた,それがここである.もちろん,鉄道の Santa Lucia 駅からも徒歩圏内である.B&B の範疇かもしれないが,レセプションもエレヴェータも立派なものであり,Hotel に近い.
一階の街路に面して入口があるが,看板は出ておらず,ここでもイタリアでは名前よりも番地優先で捜すことの大切さを再認識させられた.経営者は Massimiliano Polo,好漢である.
思いがけず,四階にある Junior Suite をあてがわれた.二階,三階にはそれぞれ三室くらいあるのに,この四階には一室のみであって,残り室外は居間のようなつくりになっており,その先がパーティができるほどのバルコニーに繋がっている.見晴らしもよい.古い建物を改装してあるのだが,その内装は簡素かつ力強いもので,好感を持った.一種の Art Hotel である. |
2013 年 8 月 29 日から 12 月 1 日まで,Gallerie dell'Accademia di Venezia アカデミア美術館で "Leonaldo da Vinci, L'Uomo universale, レオナルド・ダ・ヴィンチ,万能の人" という特別展がなされていて,それぞれは小品ながら,主だったダ・ヴィンチの手稿や素描が多数,総計 52 点出ていた.それらのうちのいくつかは 美術館の Web site や L'Huffington Post, 8 月 29 日版 で見ることができる.Gallerie dell'Accademia に所蔵されているものだけではなく,Windsor Castle Royal Collection Trust や Ashmolean Museum of Art and Archeology などからもかなりの数持ち込まれていた.それで入場料は €15 と跳ね上がっていたのであろうが,観ることができただけで仕合わせとということであり,それもやむを得まい.よく知られた "Uomo vitruviano ウィトルウィウス人体図" がここのものであることをこれまで知らなかった.しかし,それよりも他に,馬の後半身とか,題材としては大したことのないものについても,幾つもに感銘を受けた.照明が暗すぎることもなく,他の人と肩触れ合うということもなしに,存分に愉しんだ.今回これだけでヴェネツィアに立ち寄った甲斐があったというものである.
2016 年 10 月の北イタリア旅行では Emilia-Romagna にあるいくつかの都市をエミリア街道 Via Æmilia 沿いに順に巡り,その序でに Claudio Monteverdi 所縁の Mantova に立ち寄ることにした.空路を Venezia で終えると Mantova までのあいだに Vicenza, Verona と素通りできない二都市がある.
Venezia 空港に着くのが夕刻なので,空港に最も近い鉄道駅を考えて,その日は Mestre で泊り,翌朝 Vicenza で途中下車して半日ばかり観光し,陽のあるうちに Verona に行こうとした.しかしながら,懸念があって調べてみたら,Vicenza 鉄道駅にはやはりコインロッカーがなく,近くに荷物預かりというようなところもなさそう.Vicenza を観るにはその地に泊まるよりない.空港からバス,鉄道を乗り継いで Vicenza に直行したが,当然到着は午後八時となった.
Vicenza に拘りがあったわけではなく,世間の評価どおり,Andrea Palladio の建築群 と Teatro Olimpico オリンピコ劇場 を実見できればそれで気が済むというレヴェルである.後者については,Ripley's Game (2002) という映画の終わり近くに出てきたのが印象に残っていた.
ここは Lucia Camposilvan という婦人が提供する二室だけの Bed & Breakfast である.十五世紀の建物というが,浴室などは極めて近代的に改修されている.しかし,何よりもまず,あらゆる調度がすばらしい.内装や置物は古美術品であり,そこに深い教養が感じられる.さらに,朝食が特筆もの.要るかと尋ねられて頼んだジュースが何とも言いようのない逸品であった.東京で高級とされるホテルに泊まって朝,主食堂に行き,濃縮還元のフルーツジュースを断って,フレッシュジュースを別途頼んでもとてもこうはいかない,そういう高みにある.京都で俵屋に泊まる趣に近いと言えようか.Loison というクッキー屋の Web site にある ページ がその趣を伝えていよう. 駅にコインロッカーがないことから生じたやむを得ぬ計画変更が思わぬ良い経験になった.我々にはとても真似のできない本物の豊かさがそこにあった. 今回の旅行の最終宿泊地とした Treviso とともに Vicenza は Veneto に属する.Emilia-Romagna も含め,この地域の食の豊饒さと質の高さに驚かされ,また満足した. |
西海岸北部,オレゴン州,ポートランド Portland はシアトル Seattle から南へ 288 km,新幹線があったなら日帰りで往復できようが,Amtrak に乗って片道 3 時間半,一泊せざるをえない.取り立ててこれという見物があるわけではないが,こぢんまりした清潔な町である.Light Rail と呼ばれる低床式の電車路線が市内に張り巡らされていて,バスなどとも共通で一日乗車券が $5,65 歳以上なら Honored Citizen となって $2 という設定である.そのうえ,買物をしても,小売売上税 (米国には消費税とか付加価値税 VAT はない) というような州税が課せられない.
欧州のホテルでの通例とは異なり,アメリカのホテルでは朝食付きで室料が設定されているというわけではない.Breakfast や Brunch,あるいは Pancake を売り物にしているレストランなどが周辺に別途数多く存在し,そこへ出かけて行く楽しみというのもあるからであろうか.Bijou Cafe は中心地区から 2 Blocks 離れた,やや雑になってきた街並の角にある.地球の歩き方にも載っているという店なので改めて記しておく意味はないかもしれない.常に込み合っているとあったが,そうでもなかった. |
この店で特徴的なことは,アメリカの朝食の良いところと欧州の丁寧さが併せ存在することである.前者では,その場で絞り大振りなグラスで出てくる Fresh Fruit Juice.我国では値段が気になってなかなか注文しづらい.後者については,アメリカで朝食にオムレツを頼むとたいてい出汁まき卵に近い固さのものであるところ,ここではほぼ完全にフランス風のふっくらとしたオムレツ,具は茸とゴートチーズなど.残念ながら,ホテルで朝食を摂るよりも懐は軽くなってしまう.
* アメリカで,Would you like some more coffee? と訊かれて A little. と答えても,なみなみと上まで注がれる.もともと大きな Mug で出てきているので,そこまで大量は要らないのに.そういうときには Half! と言うのがよいらしい.
* アメリカでレストランに入ると,食べ終わったあとに置くチップは代金の 15 - 20% とされていて,寝ぼけ眼 (まなこ) の朝食でもチップを避けて通れない.我々にはたいそう重荷である.
Davidson Galleries 313 Occidental Avenue South, Seattle, WA 98104, USA Tel.: 206 624 7684 www.davidsongalleries.com |
西海岸北部,ワシントン州,シアトル Seattle 発祥地 Pioneer Square 地区* にあって主に版画を扱う画廊である.現代物 Contemporary と年代を遡るもの Antique Prints との二部門で営まれている.ここでドイツ表現主義 Expressionism の版画に眼を開かされた.ドイツ表現派の画家たちは Nazis から退廃芸術 Die Entartete Kunst, The Degenerate Art と目されて迫害を受けた.最初にここで清水の舞台から飛び降りるつもりで購ったのが右に示す Emil Nolde の版画である.この壮絶さをご覧あれ. "食卓への集まり" と題されているものの,実態はストライキへの謀議の場なのである.第一次世界大戦前,ドイツ人労働者の困窮がここに集約されている.とても "Dinner party" というようなものではない.こうした画材ではなく,Emil Nolde が狂人を装っていた時代の油絵をせめて一点手元におきたいと願うが,いまや個人で保持できるものではなくなっている. |
その後数年を経てここ Davidson Galleries に同じく困窮を描いた女性作家 Köthe Kollwitz の一連の版画代表作が出品された.買い取れば展示室一室を満たし得るに充分な作品群であったが,いまはすべて Sold out.旧東ベルリンには Köthe Kollwitz 広場もあり,Neue Wache には彼女のピエタが置かれていて,常に気になる存在であるがゆえに機を逸した感がないでもない. ここで二つ目に買ったのは右の Ernst Barlach (1870-1938), Lillith, Adams erste Frau / Lillith, Adam's first wife, Barlach's adaptation of Goethe's Walpurgisnacht scene in Faust, Part I. これを眺めるのは,先年ドイツの hr2, Hessischer Rundfunk で放送された Thomas Mann のファウストゥス博士 Doktor Faustus の朗読を聴きながら. 東海岸北部,マサチューセッツ州,Boston の西 60 km くらいのところに Upton という町があり,そこに Spaightwood Galleries なる画廊がある.ここの Deutsche Expressionism 関連の集積はまた刮目すべきレヴェルであり,上に挙げた二点はもちろん,Köthe Kollwitz の一連の作品をいまも多く所持していて,売り物として並べている. |
Davidson Galleries では大抵のものが額装されていないが,ここでは額に入っている.どういう額を選ぶかはこれまた容易でない事業なので,どう額装しようかと考えるのにここの陳列が参考になる.
Spaightwood Galleries, Inc.
120 Main Street, Upton MA 01568-6193, USA.
800-809-3343
www.spaightwoodgalleries.com
www.spaightwoodgalleries.com/german_expressionism
Ernst Barlach については,「人間を彫る人生,エルンスト・バルラッハの人と芸術」 宮下啓三 ISBN4-87546-046-5 P1800E 国際文化出版社 1992 年 1 月,という著述があり,秀逸である.Ernst Barlach と Emil Nolde が共に相手を尊敬していたこと,Köthe Kollwitz が棺に横たわる Ernst Barlach を描いたことなども記載されている.
* 順次,立派な画廊なども増えてきて綺麗になりつつあるが,浮浪者がいなくなっているわけではない.
* 昼ちかくでもあり,Davidson Galleries の斜め向かいに Caffè Umbria というのがあったので,冷えた Umbria の白ワインでもと思って入ったら,そこはコーヒー焙煎会社が経営するチェーン店であり,アルコール類はおかれていなかった.Café Umbria とは違うということか.イタリアの状況とは大きく異なり,アメリカでは通常人が街角で昼間にワインを一杯というのはないようである.もっとも,ここの食べ物,飲み物は平均値よりは上にある.
Caffè Umbria
320 Occidental Avenue South, Seattle, WA 98104, 206-624-5847
caffeumbria.com
ローデンコートならここ.1842 年創業とある.メーカではなく販売店であるが,Wien の Loden-Plankl などへ行くより品揃えは豊富.Loden-Frey 名の OEM 品もある.ローデンコートはもともとオーストリア貴族が着ていた猟場用の防寒コートであるが,18 世紀後半に街着として流行し,欧州では現在でも広く着られている.スロートタブ付のステンカラー,銃を撃つとき肩を動かし易くしたフローティングショルダ,背部中央肩甲骨あたりから裾までの深いインヴァーティッドプリーツ (内箱ひだ) などを特徴とする A ラインで,着丈は通常のチェスターフィールドよりも若干長め.着物のように脇の下が開いているので,温度が上がってきたときにも蒸れない.一度買えば二十年くらいは保つ.婦人用もある. |
素材はいわゆるローデンフリーズ Lodenfries であり,織り上げたあと湯につけて縮絨し,薊 (アザミ) の棘で梳きあげてあるので,目がよく詰まり,毛羽立ちも少ない.高い防寒・防水性なのに決して重くない.色はローデングリーンといわれる深緑色,モスグリーンが象徴的であるが,他にネイビー,チャコールグレー,ブラック,アルパカなどがある.婦人用ローデンコートならネイビーが chic である.素材メーカとしては,Leichtfried や Loden-Steiner, Pischl & Pischl など.
Wikipedia で "Filz" を見ると,Loden (Walkstoff) wird zunächst gewebt und erst anschließend gewalkt. Loden spielt insbesondere in bayrischen und österreichischen Trachten eine wichtige Rolle. Das Wort Loden ist im 10. Jhdt. als lodo (gewalktes Wollgewebe) belegt, kann aber auch vom mittelhochdeutschen lodi (Mantel) oder altnordischen lodi (zottiger Mantel) stammen. となっている.
どこのコートでもよいが,生地が良くて仕立てもというと Lanz あたりであろうか.
Lanz Moden / Geschwister Lanz Trachtenmoden GmbH
Schwarzstraße 4, 5020 Salzburg, Österreich
Tel.: +43 662 87 42 72
http://www.lanztrachten.at/
次いでは,
Schneiders Bekleidung GmbH
Aribonenstraße 27, 5020 Salzburg,Österreich
Tel.: +43 662 432366
http://www.schneiders.com
伝統的スタイルの長いコートではなく,ローデン素材の短いコートが近年多く売り出されていて,それらは冬に車を運転するときや,ちょっとした旅行などに具合がよい.L. L. Bean でフィールドジャケットと呼んでいるスタイルのものが便利である.
2013 年 1 月にイタリアはフィレンツェ Firenze を訪れる機会があった.そこでは,年齢層は 50 代以上と高いものの,多くの人がローデン色のローデンコートを着て街を闊歩していた.ローマ Roma ではそういうわけでもなかった.