大学にいて思ったこと |
39 年も大学に勤務していました.よく辛抱できたものだと自分でも思います.
その間に感じたいろいろなことを書いていきます.品格が疑われるというところまで書くかもしれません.
心から愉しんだという内容が多くないことは残念ですが,大学人もその程度なのかとお読みになった方は安心なさるでしょう.
Pygmalion Effect, Hawthorne Effect, Placebo Effect を知らないのかとお叱りを受けそうにも思います.
今野 浩:『工学部ヒラノ教授の事件ファイル』などをみたり,それに対する書評,仲野 徹:ここまで書いてええんかい 『工学部ヒラノ教授の事件ファイル』を読んだりすると,自分の経験よりもっとすごいことが平気でなされていたところもあったと教えられます.しかし,いまはもう,ありがたいことに,そういうところから解放されています.
国立大学が法人化される前には我々は教育公務員特例法に準拠した国家公務員であったのだが,法人化後は 「非公務員」 化され,一介の被雇用人となった.その前後で教官/教員と呼名も変わったけれども,中にいる人の性向が大きく変わったとは思えない.同僚の中に極めて 「公務員的」 であると感じさせる教官/教員が何人かいた.どういうところを 「公務員的」 であると感じたのかをいま思い返してみると,1-a) どこの公務員宿舎の家賃がいくらで,その住居の広さがどう,誰がすでにそこに住んでいる, 1-b) 共済組合になになにを申請すれば,すでに払った費用の何割かを還元してくれる, 1-c) 退職金はどれくらい,退職後の年金はこれくらい, 1-d) 学術資金援助,学会発表旅費援助などの,どこそこの財団が募集しており,本学の人数枠がこれだけだから当る確率が高い低い,などというようなことを,なんとも言いようがないほどに熟知していて,そのうえ 2) 自分が所属する学会の年会費を校費研究費から支払っている,というようであった.可能な利得を最大限に享受し,懐からの支払いを最小限にする,それすなわち 「公務員的」 である.
Max Weber 「職業としての学問」マックス・ウェーバー 著, 尾高邦雄 訳
岩波書店,ISBN: 4003420950, 1980
試験監督というのは時間を持て余すものである.自分が担当した科目の最終考査などでなら,試験終了時刻まで,教室内に空いたどこかの席に座って何か読んでいてもよいが,一月中旬,全国一斉に実施される共通テスト (大学入試センター試験,昔の共通第一次学力試験に相当) などではそうもいかず,試験場に指定された教室で,立ちっぱなしで受験生を見ていなければならない.問題に取り組んでいる受験生のあいだに設けられた通路を巡回することが義務のひとつでもあるが,行き先の目標があってサッサッと移動するのと違い,音を立てないように静かに歩かねばならない.この種の労働は肉体的仕事量としては僅かなものであるが,一日の大半そう強制されていると,済んだあとの疲労は言い表せないほどに大きい.
この監督時間中,暇で暇でしようがない.見るとはなしに見ていると,鉛筆を握っているその形が美しくない.普通に鉛筆を持っている人数との割合を大まかに見積もってみると,およ六割が美しくない方に属している.大学に入ろうとしているのだから,知的基盤を確立しようとの意図があるはず.それなのにこの多数はどうか.これで頭脳活動に支障がないのか.そう感じたあとで,学科の会議に出たら,前に座っていた若い教員の手がまさにこれであった.何をか言わんや,すでにそこまで汚染が進行していたか. |
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大阪の町中で育った.天満天神にほど近い地域である.夏祭の準備に町内の人が集まるとき,隠居なる老人もそこに呼ばれていた.そのとき隠居らがどうしたかというと,一升瓶二本,金包みなどの祝儀を持参し,会のなかばで腰を上げ,なおかつ比較的寡黙というものであった.なんらかの決議や実働が始まる前にはその場から消えている.
度々ではないとはいえ,大学で同期であった者たちで同窓会を催すことはある. 卒業後十年以内ならそうではないと想像するが, 卒業後数十年となると,同窓会に出てくる人の顔ぶれが固定化し,前回と大差ない面子となる.背後には何らかの哀しみを伴う問題が含まれているのであろうから,それを話題にすることは決してない.
その同窓会にはいわゆる恩師,学生時代に教えを受けた先生方,数人を招待する.既に退職なさって悠々自適という方々である.目出度い,これはご祝儀とすぐに差し出される方はもちろんおられるが,手ぶらの方もある.言うまでもなく会費はいただかない.祝儀を受け取っておいて,土産無しでお帰りいただくなんてことはできないから,予め土産は人数分用意しておく.残しても仕方が無いから,祝儀の有無にかかわらずお帰りの際に渡す.会がお開きになるまで留まっておられる方がある.手ぶらでお出かけになった方ほどそうである.会の後半には我々は本音の話をしたいので,ほどほどで腰を上げて帰っていただかなくてはならず,それを今か今かと待っている.本音の話ができなければ同窓会を開く意味が半減する.困ってしまうが,声に出しては言えない.ご隠居に徹して気を利かしてもらう手はないものか.
読解力という言葉があるのに聴解力とは言わない.読解力という場合には対象物はなんらかの書面であるがゆえに,半解で留まることがあり得るのに反して,聞くという場合には,諒解できなければできないで,話した相手方は目の前にいるから,何回でも質問する機会が与えられ,必ず解るまで訊くことができて,理解しないままという状況があり得ないという前提が置かれているのか.それが聴解力というような語彙が存在しない理由なのだろうか.「三九年の在籍中ご交誼を得た方々には深く御礼申し上げます」 と挨拶で述べた.謝意はそこに出席の全員へのものではないにもかかわらず,大勢がそれを,通り一遍の全員への謝辞と受け取っていたことを後で数人の出席者から聞かされた.もちろんそのとき誰からも 「塩,塩を撒け」 という声は出なかった.慎重を期し,思いどおりに進んだものの,人に聴解力ありや.
大学を退職するにも手間がかかる.それなりに骨が折れる.事務局では逆に退職してもらうにも手間がかかると思っていよう.まず大量の書類を指定期限までに提出する必要がある.書類を書くのは苦手の最たる仕事である.そのうえいくつも送別会がある.何人かまとめての送別会であれば,先約があると言って断わることもできるが,対象が自分自身で,先に都合のつく日時を照会されていたものには出ないわけには行かない.
その送別会数日前,ある同僚がその日は出張するので申しわけないが出席できないと告げに来た.これは筋違いである.発起人でもない当人に欠席を詫びてもらっても困る.その会合の呼びかけ人に出席できないことを通知するだけでよい.しかし,そこに出席できないのなら,そこで顔を合わせている時間内に本来言うべきことがあるはずで,それこそが送別会を開く趣旨であろうが,それが無かった.欠席の詫びを当人に言ってもらう必要などないとけんもほろろ突慳貪に放したので,丁寧に出ているのになんという態度かと大いに不満だったに違いなかろうが,ものごと何が大事か,順番筋道を弁えず礼椄も欠落しているとしか言いようがない.別の送別会でそのことを酒菜に皆で楽しんだ.退職するというのは,こういうことを書く時間を得るということでもある.
松の内,元旦から七日もしくは十五日まで,に必ず顔を合わせるという人からもしばしば年賀状が来る.そういう人ほど,新年に入り初めて会ったときに挨拶があるかというとそれが無い.松の内に年賀にまわるということはいまは少なくなったが,幼少の頃はそれが当たり前であった.伺うと直径四十センチもある大鉢に数の子が山盛りになっていた光景をいまでも鮮明に思い起こす.新年を迎えた折目にご挨拶をという慣習が 「年始回り,御年始廻り,お年始,年始,年賀,年礼」 というものであり,年賀状を出すのはそれの略式にすぎない.その年賀状を送った輩は,年賀状を出しているのに返しもしない失礼なやつだとこちらのことを思っているに違いない.しかし,本来なすべきことは顔を合わせて挨拶を交わすことである.基本は何か,ということを認識しないで大学人といえるか.本当に失礼なのはどちらか.
研究室では幾つかの研究テーマを設定し,年度の初めに誰がそれを担当するのか相談して決める.学部四年生,卒業研究の学生と大学院修士課程の学生とがチームを組むことが多い.テーマと実験装置は不可分の関係にあり,装置は自前で製作して来たものなので使い方の Know-How は作った人や使って来た人がが最もよく心得ている.ひとつの研究テーマに複数人が当たることが多いのは使い方を伝承して行くという意味も大きい.動かすには体力が要るという急速圧縮機のような大きい装置もある.ピストンを引き戻すには 1 m もある大きなバール (Crowbar, かなてこ) を駆動メカニズムの決まった位置に差し込んでエイヤッと力を入れなければならない.作動させた瞬間には床に対する衝撃があるので,平屋の実験棟にしか置けない.夏には冷房が,冬には暖房がたいして効かず,一年のかなりの期間外気がそのまま入ってくるという環境下にある.こういうものを独りでというわけにはいかない.一方,化学の実験装置と見まごうような Powling Burner という平坦炎バーナもある.これは安定化が命で環境変化に弱いから,ビルの中の空調完備のところで運転する.そばには各種分析装置がところ狭しと並べてある.火を扱うので,いわゆる白衣は着ない.
学部から大学院に進む人も多いから三年間ひとつの装置をお守りして,どんどん改良し,生き字引になる人もおり,三年間いていくつかの装置を次々と渡って行く人もいる.学部から大学院修士課程一年次のあいだは朗らかで,素直でいいと思っていたある学生が修士課程二年次になったので,いつまでも誰かの手伝いではいけないから,ある装置を彼に預け,学部四年生の指導を併せて頼んだ.このあたりに果実がありそうだからそこを狙って半年くらい実験してはとも言い添えた.ところが,その後しばらくすると,研究室であまり姿を見なくなった.就職活動の時期と重なっているからとあまり気にも留めなかったが,それでも最近顔を合わすことがないことを思って周りに訊ねると,何日も出て来ていないと言う.新入の学部四年生が,その装置の改造者である博士課程の学生にときどき教えを乞いながら,独りで地道にやっているらしい.一度電話して出て来るよう伝えてと頼んでおいたら,十日くらい経って夕刻にボソッと姿を現した.研究に興味が持てないと言うのである.その装置は改造者のそれまでの苦労もあってなかなか良いものに仕上がっており,その装置でできる仕事はいまや中盤に差し掛かっていて,実験を進めて成果が得られないことなどないのである.それを提供しているのに,そこで escape されたのではこちらも堪らない.気を持ち直して頑張ってくれと言って帰した.そのあとが大変であった.母親から電話が架かってきて,研究室の誰々さんがあれこれ細かく中傷するので息子は大学に行きたくないと言っているとの苦情である.該当者にそれとなく訊くと,そんなこと有るわけないでしょと本人は怒ってしまって,先生は僕を信用できないのですかとまで言われてしまう.生まれて初めて自分の責任でやることになったとたんに,どうやってよいのか分からなくなったということのようである.二年間研究室に所属していても,自分の扱っている現象やその本質,筋道を理解するに至らなかったらしい.失敗することを恐れるのか,失敗したことが未だ無いのか,自尊心が高すぎるのか.これを鬱病と言うのだろうか.鬱には頑張らせてはいけないのが通説らしい.それにしても頑張ったところなどそれまで彼から見せてもらったことがない.能力が低いというのはこういうことか.他人に責任を転嫁されるのが困る.ほどほどの年齢になれば自立してくれ.親に言わせず,まず自分で言うべきことを言え.
これは現実にあった一例である.当方だけでもこれより軽いながら似たことは他にも数例あった.工学研究科委員会に出ると,修士課程,博士課程,何人もの学生について,授業料未納による除籍という報告がある.自ら退学したのではなく,指導教員との会話が成立せずしてそこに至ったという証左であろう.他の大学の人に話したら,同様のことを皆さん経験なさっており,ブランド指向・権威主義の傾向がある人に多いと言う点でも意見が一致した.なお,そのときの学部四年生は卒業までの一年間でほぼ一人前の研究者と言えるところにまで成長した.そういう人に限って,弟がまだ大学に通っており,親の負担を思うとと言って大学院に進学しなかったりする.
かつて大学の夏休みと言えば七月と八月の二ヶ月であった.現在は八月と九月に変わっている.前期,後期年間二学期制のうちの前期を夏休みで中断せず,期末最終考査を七月中に終わらせて,そのあとを休みにしようとの意向である.学習効果が高まるというのが賛成派の謳い文句であった.学期が中断しようがしまいが,勉強する人はするし,しない人はしないので,学習効果云々はたいした理由にはならないと思ったが,それしきに反対するのも大人げないと,知らん振りを決め込んだ.教室に空調が施されてきたことも,時期に拘る必要をなくしていた.
それにしても,九月に夏休みというのは気持ちのうえでは何とも解しかねた.暑さが和らぎ,秋風がソョと吹けば,夏中ずっと怠けていた者でも,少しは気を引き締めてサァ今日からはと,机に向かわなくて,大学生と言えるかと思うのである.高校時代,九月九日あたりに水泳大会が開かれて,プール納めになったが,飛び込んだときの水温が外気温より高くて,ずいぶん泳ぎにくかった記憶がある.八月下旬でも,夕暮れにプールへ入るとそれを経験したし,朝方は清涼さを感じたものであった.
ところが昨今はどうも事情が違っている.さるすべりの木は百日紅の名のとおり百日くらい花を付けているのが正常なのだろうが,いまは六月から十月の初めまで,130 日くらい枝換わりに花が開いている.九月に入っても熱帯夜が何日も続いたりする.おおよその感覚では,夏の暑さが半月は繰り延べになっている.九月に入ったからといってサテ勉強せねばという気にはとてもなれない.九月が夏休みでもそこに合理性があると思わざるをえなくなっている.もっとも,七月も堪え難い高温,高湿度であり,いよいよ我国も亜熱帯に属したと言えるほどである.七,八月の夏休みから八,九月の夏休みに移行した年の七月の苦しさはいまでも忘れられない.ずいぶんと躯に応えた.三ヶ月間の夏休みを提案すべきであった.
学術団体の論文集編修委員をやらされたことがある.ルーチンで廻って来た役目なら安穏なのであるが,いくつか事情があってのことであり,その第一は,前年度,熱力学第二法則に抵触する論文を承認して論文集に掲載してしまったというのである.論文掲載の撤回と学会としての不始末を謝罪する記事が学会誌に載っていた.苦渋の選択である.二度とそういうことが起らないように,できればその方策も立案せよとのお達しである.
研究者であるという立場を維持するには,研究成果をほどほどの間隔で所属する学会の論文集に投稿してそれが掲載されるという状況を継続しなければならない.学会は組織としての学術的権威を維持するために,論文集に掲載する論文のレヴェルを一定以上に保つ必要がある.
論文が投稿されて来ると,会員のなかに査読員を委嘱し,二人以上が可としたものを掲載する.投稿された論文を読むのは査読員である.査読員を選んで委嘱するのが編修委員のまず最初の仕事であり,複数の査読員から肯定的な回答があれば,掲載可と処理して出版に回す.そういう場合には編修委員は論文を読まない.肯定的な回答と否定的な回答とが同数になった場合には新たに査読員を加える.複数の否定的回答があった論文は,掲載否とする理由を添えた文書を編修委員が作成して返却する.その否定理由には査読員の判断をそのまま流用する.それゆえ大抵の場合,掲載否であっても,編修委員は査読員の判断が妥当であるかどうかを判断するものの,論文そのものは読まないで済む.
査読員,編修委員ともに,掲載可のときよりも掲載否とする方が断然手間が掛かる.掲載否とするにはその理由を他人にも分かるように整理して書かねばならず,気分が高まるわけもない.誰しも他の人の論文を掲載否とするのは億劫である.これが表題の Happy-Happy に結びつく.Happy-Happy とは,査読員が論文の中味をしっかり吟味せずして直ちに掲載可として○を付けることをいい,査読員は自分の手間が省け,論文執筆投稿者をも併せて Happy にするという意味である.
ほとんど既出で,縦であったところを横にしてみた,というような論文が氾濫しているなか,大して価値が無いと思いながらも,間違っているわけではないので掲載可にしたというのなら,ボディブローのようにゆっくり負に効いてくるにせよ.問題はその段階では表面化しない.しかし,冒頭で挙げたように,熱力学第二法則という,その学問の前提に抵触するものが Happy-Happy で潜り抜け,論文集に掲載されたというのはそれらとは性質を異にする.それはまさに間違っているのであるから,単に平均値レヴェルの高低ではなく,存在意義そのものが否定される.組織の恥でもある.これをどうすればよいか.
複数で査読員が Happy-Happy 行為に出れば,手続きを定めておいただけでそういう過ちを防ぐことは不可能に近い.編修委員としては,投稿者が未知の人物であるときには,好むところではないが,信用でき,意を酌んでくれる査読員を選ぶよりない.肯定的回答が二,否定的回答が一のときには,ルーチンではそのまま通せばよいところであるが,お達しがあることでもあり,編修委員が当該論文を読みながら査読員の否定理由をフォローして,否を出した査読員の意見が真っ当であると判断されるなら,もう一人別にその趣旨を付して査読してもらうこととした.そういう論文は最終的には掲載否となることが多かったが,最初の複数の肯定回答は何だったのか,Happy-Happy だったかと不信感が増幅された.
また,単純に掲載否になったものでも,それで終わるとは限らない.幾つかについては,返却理由に納得できないという反論が返ってくる.編修委員の仕事がそれでひとつ増える.誤解が掲載否を招いたのかどうかを判断し,査読員の意見ではなく,今度は編修委員が意見を述べる.これで済めばよいが,そうは問屋が卸さない.複数回に亘ると膠着状態になる.反論が返って来たら,必ずその一回で終わるように返事を書かないといけない.体力が要る.消耗する.逆説的であるかもしれぬが,査読員が複数であり,それを査読員が承知しているところに甘さが生じている.査読員は単数で,その都度編修委員となって責任を持てばよいはず,との思いが脳裏を巡る.
上に言う膠着状態は編修委員会の中に複数出ていた.当時,所属機関名誉教授の論文が他分野ながらその内のひとつであり,他の委員から事情をしきりに訊ねられてしばしば困惑した.ご本人自身 この経緯 を公になさっている.もうひとつはまた別の投稿者で,分野も別のものであったが,第一報から第七報くらいまでのシリーズで提出された理論であって,確か第三報くらいで疑義が出始め,そこがおかしければ,疑いは第一報,第二報に及ぶのに,それらはすでに出版されてしまっているというものであった.かなりの大部・複雑・難解さで,誰に頼んでもすべてをフォローし切れないし,実験が無いので計測値から襤褸が出るというものでもなかった.
これまでと異なった考え方であるからこそ研究成果であり,論文と云えどもそこに不確定さが残るのは自然であって,すべて確実なら研究するまでもない.後世いくらかの誤りが見つかるのは致し方ないことであり,順次修正されて行っての進歩である.けれども,その学問の根底にある既知の前提に抵触しているものを論文として掲載してはなるまい.上の二つの例では,何編に亘っていようとも後者の方がまだ軽微なのである.
査読や編修はこのように,当事者に精神の高揚を齎すことの少ない仕事であるが,已むを得ずにせよ論文の中味をしっかり読むので,普段は薄くで済ませているそのトピックスを真面目に見るよい機会になる.講演会に出ると,そういうセッションでの話がそれまでよりずっとよく分かるようになっていることが実感された.所属機関に戻っての講義にこれが正の効果を持つことがその後知れた.周辺分野については,聴くともなく聞き,視るともなく見ていることで大抵はこと足りるが,偶には集中が要る.
To be continued !