点火と着火 Forced Ignition or Self-Ignition ?
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・ 火炎伝播か着火かという区分

 燃焼の形態として,しばしば,着火は火炎伝播に対峙させて置かれる.どちらも最初は未燃混合気であり,燃えれば燃焼ガスであることに差はないが,その間の経緯が大きく異なる.また,火花点火機関ではこの双方の現象が競合するというようなことがある.別々に取り扱うに足る内容にそれぞれ事欠かない.点火は火炎伝播に導き入れるトリガーであるから,この両者を対置することはない.


・ 点火か着火かという区分

 火がつく,という点については,その創始過程の違いから「点火」と「着火」に分けて考えるのがよい.日本語では点火と着火は別個の概念であり,前者は "人為的強制点火",後者は "自然発生的自着火" という意味を内在させていて,それ以外の解釈はない.英語の Ignition, 独語の Zündung などは "火がつく" というだけの,点火と着火の双方を包含した概念を表す語彙であって,そこに点火と着火の区別がない.どちらであるかは,一般には,前後の文脈で見分ける.そこを明確に識別しなければならないときにはその前に "Forced,Forcierte" とか "Self/Spontaneous, Selbst-/Spontane" とかの形容辞を付加するよりない.

 点火は人為なので,"点火する" の主語は人間である.一方,"着火する" の主語はなんらかの可燃物である.着火を人為とするときには "着火させる" と受動で使う.「点火プラグで混合気に着火した」というような言い方をしてはいけない.また,「点火する」と「着火させる」はもちろん等価ではない.
 辞書で英語の動詞 "ignite" を調べると,他動詞が "正式" であると出てくるが,自動詞としても使われるとある.独語では他動詞 "点火する" は目的語を三格ではなく四格でとる "anzünden" であり,"着火する" なら "sich entzünden" と四格の sich を付けて再帰的に使う.ただし,主語を人間にして "sich entzünden" を三格の sich で使うと "火を点ける" という意味になる.このときは再帰動詞ではない.このあたりの sich の使い方はたいそう難しい.


・ 活性基の付与がかなめ

 点火とは火種をおいて目的物に移すということであり,着火とは火種も無いのに勝手に火が出たということである.よって,点火と着火とでどこが異なるのかというと,それは火種の有る無しである.それを工学的にやや丁寧に言うなら,可燃性混合気に活性化学種が与えられるか否かの差であろう.電気火花放電は強制点火の一手法であるが,そこでは混合気を高温にするというだけでなく,O, H, OH などの Radical Species が点火手段によって付与される.レーザー点火などでもこの点については大差ない.これに反して,自着火においては活性化学種は与えられるものではなく,自ら生み出さなくてはならないものである.この差を "燃焼の創始反応 Initiation Reactions" が他から来るのか,あるいは,自分で導き,新たに生み出さなくてならないのかという差であると言い換えてもよい.

 この活性基付与が要かなめ であるということと,火花点火における最小点火エネルギーという概念が付与したエネルギー量だけで取り扱われていることとのあいだに矛盾はない.容量火花と誘導火花とで最小点火エネルギーに差があるというようなことがそれを保証する.

 もっとも,火打石によるとかライターで石を擦って火を点けるというのも明らかに人為的点火であり,そこに活性基があるのかという横槍が入るであろうことも予知しない訳ではない.火種の有無だけに留めたいが,それだけでは話が前に進まない.

 点火では火炎核の数はごく少数,たいていは一箇所であり,その後の燃焼形態は火炎伝播に移行して,熱発生が比較的緩やかに進むのに対し,着火の場合の発生核数は多く,着火したらきわめて短時間で燃焼ガスになる.つまり,着火で始まる燃焼は爆発的で,熱発生速度が高い.予混合気の着火は多点着火であるがゆえに,火炎伝播が後追いするのに残されている混合気量は少ない.もちろん,火炎核数とか熱発生速度の高低などはそれぞれの傾向ないし性質であり,点火と着火の分類から言えば,本質ではなく,二次的な事柄である.


・ 温度場・圧力場の付与は不問

 点火でもそうであるが,着火でも,温度場,圧力場が他から与えられることについては頓着しない.もちろん,自ら温度,圧力を上げて行っても差し支えない.一例を挙げると,低速火花ノックの発生が End Gas の自着火であることを疑う余地はまずない;そこで起る低温度酸化反応,いわゆる "前炎反応 Preflame Reactions" が生起されるに必要な温度場,圧力場は外部要因である.しかし,一般には与えられた場のままでは熱炎着火に至らず,自分で自分の温度,圧力を上げなければならないという特質がある.そうとは言うものの,そうしたことは点火と着火の分類に係わる問題ではなく,すべて自着火現象として括られる.与えられた場のままでも着火する場合もあり,それが 高温着火 である.


・ 着火遅れが観測できるか

 点火と着火を区分けする意義は,それぞれでその現象特有の性質があるから,分類した方が現象の理解が容易になるとか,分類できただけで解ったというのと等価であるとかの理由による.しかしながら,この現象は点火なのか,それとも着火なのかを活性化学種付与の有無だけでは判定できないこともないではない.そういう場合に便宜的に使うもうひとつの閾,分岐点は火炎発生ないし急速な熱発生開始までに認識できるような "着火遅れ時間 Ignition Delay" ないし "誘導期間 Induction Time" があるかどうか,ということである.活性化学種の付与が疑われるとか,創始反応は外から与えられたそれであるという条件下でも,明確な着火遅れを観測できる現象なら,熱炎発生に至る経緯は自着火のそれであることが多いからである.このとき,点火と着火の区分けはできないけれども,現象とその経緯を把握するのは容易である.


・ 過早着火 Preignition ではどうか

 近年,高過給火花点火機関が拡まってきて,"過早着火 Preignition" の発生がそこでの新たな問題点として浮上している.火花ノックは火花放電がなされて以降に生じる現象であるが,"過早着火 Preignition" はまだ火花放電がなされていない段階で着火核ないしは火炎核が生じるという問題である.この核は伝播火炎へと進展し,その火炎伝播は通常の点火時期よりかなり以前に展開されているそれである.当然のことながら,この火炎伝播は混合気がピストン圧縮を受けている上死点 TDC 前のことであれば,火花ノックと等価な End Gas の自着火をも併発する.上死点 TDC 後に "過早着火 Preignition" 核が極々少数生じるならば,火花点火と同等なので,それだけで終われば重大な問題とは言えないけれども,核が多点で生じたらほぼ確実に HCCI に等価な自着火を誘起するから危険なのである.高過給火花点火機関の過早着火 については別のページを設けた.

 過早着火核生成がシリンダ内のどの部位であるはかはっきりしないが,Bulk の未燃混合気部というよりは,いずれかの壁近くであると考えられている.そうだとすると,次の切り分けはそれが固体壁ないしは固体壁に付着した Deposit (これも固体) が Dominant な表面着火であるかどうかという点である.すなわち,過早着火は人為的な強制点火でないことは言うまでもないものの,高温固体が発生源であるのか,それとも固体近傍ながらも発生源は気相であるのかという閾である.それに,過早着火核生成はどこからか活性化学種の供給を受けてのことであるのかどうかという閾を重ねることが必要である.つまり,固相/気相反応と活性化学種付与の有/無という組み合わせ,4 条件の内のどれであるかを判定できたところがこの問題を考える出発点である.これの解釈には,模型飛行機エンジンの白金 Glow による点火/着火であるとか,前のサイクルで生成された活性基が排気・給気過程を経てなお寿命を保っているのかどうかというような知見が求められる.火花ノックもその発生部位は壁近傍であるけれども,それを表面着火と考える人はいない.そういう切り分けは既になされているからである.

 つまり,点火と着火を区分けするというのも思いの外簡単ではないと知られる.特に熱面着火と呼ばれている範疇のものではそうである.


・ かつての Hot-Tube Ignition とはどういうものか

 電気火花 Spark が点火に使われる以前の Otto エンジンは "火花点火機関" と同義ではなかった.今日のような火花点火方式は Charles Franklin Kettering, 1910 からである*1.ごく初期の Otto エンジンでは "火炎" そのものを用いて点火がなされていたが,しばらくして "熱管式 Hot-Tube" が用いられるようになった.Maybach/Daimler, 1885 がそれであって,下図に示されるものである.火を点けると言うか,着火させる装置そのものは Aachen の Leo Funck が考案したらしい.

 *1 ただし,Ruhmkorff Induction Coil を応用した Trembler Ignition Coil, Lenoir 1860 が最初であると Schildberger, F. und Trautmann, F.: "Bosch und die Zündung", Boschschriftenreihe Nr. 5, 1952 に出ている.



 右は断面に切ったエンジンの写真である.本物の断面なのか Replica なのかはわからないが,上の図とはまた別の趣きがある.

 この方式を点火というべきか着火というべきかは意見が分かれるであろう."Untimmed" となっていて,燃焼開始時期は制御されていないというのも点火と言うに値するかどうか.Hot Tube は Incandescent Tube と呼ばれることもある.ドイツ語で熱管は Glührohr,熱管式点火は Glührohrzündung,glühen は灼熱という意味である.

 このエンジンは右下の写真に示すようなその佇まいから "Standuhr-Motor, Grandfather Clock"*2 と呼ばれた.最初のものは単シリンダ 264 cm3, 700 U/min, 0.5 PS/0.37 kW, 60 kg.この写真では Fuel Tank は見えるが,Hot Tube は見えない.

 *2 いくつかの Version があり,1886 年のものは 460 cm3, 650 U/min, 1.1 PS/0.81 kW.


 この方式を試みる実験のために1883 年に作られたエンジンを再現するプロジェクト 1883 Daimler Experimental Engine Project というのがあり,そこの Web site に運転している動画もある.外部にある動画で,ガソリンが燃料になっているものなら ここここ がよい.赤熱というほどでない状況で廻っている.音を聴くと,あたかも HCCI 燃焼であるかのようである.

 もとの実験用エンジンは Gottlieb Daimler ではなく Wilhelm Maybach の作であるとする記述が多く見られる*3.原機は 700-900 rpm で廻り,ここで画期的に回転速度が上がったという.Stuttgarter Nachrichten という On-line 新聞,2011 年 1 月 27 日の記事 には多くの写真が掲載されており,その中にはこの 1883 年 実験用エンジンを二人でいじっているイラストがある.

 *3 "Das imperiale Zeitalter 1871-1914", S.131, Chronik, ISBN 978-3-577-09074-2

 再現なので Hot Tube は炎で加熱されてはいるが,この方式は火炎が無くてはならないというわけではなく,あくまでも Hot Tube であって,混合気がその内面へと押し込まれ,昇圧,昇温されることが重要である.

 Hot Tube は Glow Plug と同じではなく,凸凹 Configulation が逆である.深い凹なので掃気が悪く,前サイクルの燃焼ガスが残留している背後に圧縮行程で新気が押し込まれる.押し込まれて加熱されていたものが TDC を越えるとシリンダへと流れ出す."Untimed" というのは "No Timing Control" ということであろうが,それでも大きな変動なく,TDC を越えたあたりで燃焼が始まると想像される.熱面着火というより気相での反応が主体であると思われ,流動から見れば一種の Turbulence-Generating Pot であり,また Jet Ignition である.Flame Jet かどうかは分からない.Hot Tube を焼きすぎると Backfire が起ったというから,ピストン下降時に Hot Tube から流れ出たものが着火源になると知られる.燃焼時間は長くない.

 こういうものを見て何の足しになるのか訝る方もおありだろうが,簡単には実験し難い熱面着火を想像するとか,2-ストローク機関の AR 燃焼とかを理解するための一助となるのである.Hot Tube の内壁面温度経緯や指圧線図などが得られれば modern なデータになり得て,現象の見通しへとつながる.前サイクルから残留している熱管奥の燃焼ガスで着火創始反応 Initiation reaction を助けるだけの活性基が生存しているかどうかを切り分けることができればさらによい.

 熱管式, Hot Tube, Glührohr より以前はいわゆる "火炎による点火, Flame Ignition, Flammzündung" である.こちらについては,熱管式 Hot Tube とは異なり,炎が無くては始まらない.点火という呼び方で全く問題ない.火炎点火をいうならまずは ここ スイス定置エンジンクラブ の図や写真,同じ Site の熱管式点火のページ に上掲図の元図もある.

 * Wilhelm Maybach については,
"150 Jahre Wilhelm Maybach", VDI Berichte 1256, VDI-Gesellschaft, Fahrzeug- und Verkehrstechnik, VDI-Verlag 1996, ISBN 3-18-091256-1
が詳しい.


Still not fixed.


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