低温度自着火とは,その二.ピストンエンジン以外への適用
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Low-Temperature Ignition, Part II
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 普段は往復ピストン式エンジンのシリンダで起こるような着火を想定して現象を考えているのであるが,そこで得られた知見の応用先はエンジン燃焼に限らない.このページでは,燃料/酸化剤 予混合気の着火まえ反応はこういうふうに扱えばよいのか,という経験をしたその話題とする.エンジンと直接関係はないが,時間・空間分解能を上げて現象を観察する手法そのものであり,研究の手法としての意味をくみ取っていただけると思う.


化学プラントと低温自着火

 紙おむつなどに使うための,吸湿性を持つ化学繊維を作るときの最初の反応はプロピレンを低温酸化させてアクロレインにする,というものであるらしい."アクリル酸,アクロレインの製造販売" で検索すれば関連が知られる.人口構成が高齢化してくると,赤ん坊が使う紙おむつの量は減っても,高齢者の使う量が増えて需要は減らないようである.

 化学プラントは思い立ってすぐに新設できるものではないので,まずは設備数を増やさず需要増に対応したいであろう.そのためには反応温度を少し上げればよいということになるのであろうが,このアクロレインができたところでは酸化剤が残っているから,むやみに温度を上げると冷炎が発生して,本来の組成と違ったものになるうえ,下手をすればさらに発展して熱炎に至るので,プラントが爆発してしまう危険性がある.アクロレインができたあと,それをアセチル酸を作る反応工程に送る,その工程へ移送するに要する時間と移送時の温度がどの程度まで許容され得るのかを見積るというのがひとつの課題になる.

 反応物質として想定されている混合気の組成を右の表 1 に示す.数値は % Mole Fraction である.燃料となる化学種としてはそのほとんどがアクロレインであり,混合気は過濃である.その混合気が水蒸気と窒素で希釈されているというものである.

 ここではこのような反応物を代表するものとしてアクロレイン (Acrylic aldehyde, CH2=CHCHO) と酸素 O2 の等モルの混合気を充て,希釈剤は窒素とした.当量比は 3.5 になる.

Table 1. Typical constituent of a real plant at the first reactor outlet, per cent by volume


 急速圧縮機 を使って,アクロレイン/酸化剤 予混合気の圧縮自着火を生じさせる.その着火遅れを測って,温度依存性,圧力依存性,不活性ガス希釈の影響を実験的に得る.

 実験温度範囲については実際の化学プラントそのものに相当する温度とすることができるが,急速圧縮機での圧力は現実の場より一桁くらい高くなくては着火遅れを測れない.また,着火遅れ時間が長くなる条件を与えると混合気が冷えて,温度・圧力がどんどん下がって,現実的でなくなる.それゆえ,着火遅れの時間スケールは実際の化学プラントと実験する急速圧縮機とで二ないし三桁も小さい.

 急速圧縮機による圧縮着火実験の典型例を右の図 1 に示す.縦軸,横軸共に同一尺度にしてある.アクロレインと純空気とで作った当量比 3.5 の混合気で圧力依存性を知ろうとしたものである.圧縮終り圧力を 6.5, 13.0 atm と 2 倍の開きがあるようにした.用いた急速圧縮機は平素我々が使っているそれである (例えば 1).圧力が二倍になると着火遅れが 6 分の 1 くらいになっていることが直観で知られる.

Figure 1. Piston-compression ignition processes of a rich acrolein/air mixture under pressures 6.5 and 13 atm associated with an identical compression temperature, shown by the pressure and blue-light emission histories up to the final hot flame appearance.


 このような圧縮自着火実験を右に示す図 2 のアレニウスプロット Arrhenius Plot で整理して,冷炎着火遅れの温度依存性と圧力依存性を得た.着火遅れ τ を反応速度 wreaction の逆数と考えて,実験式:
のかたちにすると次のようになる.

ここで, P: Pressure [atm], T: Temperature [K], : 普遍気体定数 Universal Gas Constant, である.

 アレニウスプロットは,

とした表示である.温度依存性とは活性化エネルギー E もしくは活性化温度 のことであり,圧力依存性とは反応次数 n のことである.活性化エネルギー E はアレニウスプロットの勾配で表現される.圧力が変化しても活性化エネルギー E には変化が無く,温度依存性と圧力依存性は互いに独立であることが分かる.

Figure 2. Arrhenius plots for the cool-flame ignition delay of a rich acrolein/air mixture for pressures 6.5 and 13 atm. Estimation of temperature and pressure dependence for cool-flame appearances.


 これにさらに混合気が希釈される影響をを評価して付け加える.等モルのアクロレイン/酸素 混合気を Reactant,希釈剤の窒素 N2 を Diluent として,そのモル比 Diluent/Reactant ratios (D/R) を 4.77 と 10.53 に振った.この希釈の実験結果は図 3 のようになった.そこから実験式を求めて,

とした.この式から先の純空気とアクロレインの場合を計算すると,図中に示したように,圧縮自着火実験の結果とややずれるが,そこは無視している.

Figure 3. Estimation of inert-gas dilution effect. D/R is Diluent/Reactant ratio; Reactant is the acrolein/oxygen equimolar mixture and diluent is nitrogen.


 表 1 に与えられた実際のプラントの操業状態に相当する組成は Diluent/Reactant 比で 7.5 と考えればよいであろう.操業温度・圧力 235o C, 2.0 atm をこの希釈比 D/R 7.5 とともにあてはめると,冷炎着火遅れは 32.7 s とでてくる.アクロレインができる第一反応槽からつぎの反応段階への移送時間は実際のプラントでは 4 s であり,このときの安全マージン比は 32.7/4 ≅ 8 になる.これは混合気の組成もまだほとんど変化しないとみなしうるかどうかの境界に当たっていよう.操業条件を例えば 250o C, 2.2 atm とすれば,冷炎着火遅れは 18.1 s になって安全マージン比は 5 以下に落ち,そこでの操業は不可能であると判断できる.

 このような単純な手法で見積った操業条件は実は実際の操業条件に極めて近いものである.つまりそのプラントではそれ以上の増産は不可能で,無理をすると産業災害を起こす可能性があるというわけである.この内容についてより詳しくは文献 (2) を参照されたい.

 平成 24 年 9 月 29 日,兵庫県姫路市網干区の "日本触媒姫路製造所" でアクリル酸の貯蔵タンクなどが爆発して火災が生じ,翌日午後 3 時 30 分に鎮火,爆発から鎮火まで 25 時間を要した. ここで述べた,高吸水性高分子 Superabsorbent polymer, SAP の原料となるアクリル酸をアクロレインの酸化で作る同種の化学プラントである.爆発したのは製造プラントそのものではなく,アクリル酸貯蔵タンクであるらしい.酸化剤の混入と僅かな温度上昇で爆発に至ることはここで述べた状況から容易に想像できる.


ここで述べたこと

 ここでの手法は工学の常套であって,なんら特筆すべきものはない.しかし,多くの簡略化を含みながら,ものごとを判断する当たっての充分な資料になっている.もとになっている実験と現実とは圧力で一桁異なり,着火遅れについては一方は数十 ms,他方は数 s と二桁も異なるけれども,自着火まえ反応は総括的にひとつの式で与えられ,同一の現象として扱うことができる.工学というものが有用であると実感できた,と上述したのはそういう意味である.想定される温度・圧力の場で着火がいつ起こるのか,ということが着火の問題の第一であるとはいうものの,なぜそうなるのか,ということはここで述べたことからは何も解らない.けれども着火とはこういう性質を持つものなので,いろいろなものを使って実験的に調べたり,素反応計算ができたりするのである.

 不均一性や壁,流動の影響など,気楽に考えていると足をすくわれるようなこともないわけではないが,ほとんどの着火現象において,温度・圧力の場がまずは律則である.本稿の例では一方は不均一性,壁,流動の影響が充分予想される小容量の反応ヴォリューム Reaction Volume であるのに対し,他方は大容量で流れも無視できるような化学プラントである.それでも結果的には現象に差は見られない.

 低温度自着火を調べるのに Powling バーナ を使う (3) のもこうした考えからのことであり,往復ピストン式エンジンのシリンダ内で起こることを知るのに,エンジンでなければできないというものではない.エンジンでなされた実験結果はエンジン業界関係者には理解し易かろうが,未知へのアプローチでは残された途は狭く,展開は少なかろう.

 工業炉の分野では高温空気燃焼が成功をおさめている.内燃機関では燃焼の前に必ず圧縮があり,酸化剤の温度は従来の炉に較べて高い.ディーゼル機関を見ても,それはもともとそれなりに高温空気燃焼になっている.高温空気燃焼を知るための反応容器として往復ピストン式エンジンが使われるということにも合理性はある.概念に普遍性,一般性があれば適用に限界はないはずであり,それを目指すのものが学問の名に価する. もちろん,アクロレイン単独でも,エンジンに無関係というわけではなく,植物油をディーゼルエンジンに使うと排気中にアクロレインが出てくるとのことである (4).また,アクロレインは極端に強いすす生成性向を示すし,過濃混合気の場合の方が量論混合気の場合よりも着火遅れが短いことなど,不可解かつ興味深い性質を多々包含していて,低温度自着火の本質に迫る近道となる可能性を秘めた魅力的な物質であることを付け加えておかねばならない.


文献の所在

 1. Ohta, Y., Hayashi A. K., Fujiwara T. and Takahashi, H.: n-Butane Ignition in a Wide Range of Temperature, Progress in Aeronautics and Astronautics, Vol. 113 (1988), 225-237, AIAA.
 2. Ohta, Y. and Furutani, M.: Evaluation of Hydrocarbon Explosion Limit in a Chemical Plant, Int'l Symp. on Hazards, Prevention and Mitigation of Industrial Explosions, Bergen, (1996), 155-162.
 3. 野勢・古谷・太田ら:平坦バーナ上に保持された低温度炎で発生する窒素酸化物,第 36 回燃焼シンポジウム,札幌,(1998), 578-580.
 4. 藤原・登坂:バイオ系燃料から生成される有害成分の生成機構に関する研究,RC151 来世紀対応形非上定常燃焼機構の解明とその応用研究分科会 研究報告書 (1999),日本機械学会 研究協力部会,94-101.


 上記 2) の文献が入手難であると聞くので,pdf ファイルをここに置く.

Evaluation of Hydrocarbon Explosion Limit in a Chemical Plant
Y. Ohta and M. Furutani
The Second International Specialist Meeting on Fuel-Air Explosions, Int'l Symp. on Hazards, Prevention and Mitigation of Industrial Explosions,
Bergen, Norway, June 23 to 28, 1996, Organised by the University of Bergen and Christian Michelsen Research

Acetyl acid is a basic material of paints and synthetic textile binders. Acrolein (acrylic aldehyde, CH2=CHCHO) is one of the most important intermediates in the process producing acetyl acid from propylene. Acrolein is formed through a low-temperature propylene oxidation. Reactor outlet temperature and pressure are about 235 deg C and 2 atm, where oxygen coexists with acrolein. When a higher production capacity of the plant are desired, higher temperature and/or pressure will be required, and apprehensions of cool flame onset could come out in consequence. If the cool flame develops to the final hot-flame stage an explosion hazard of the plant would be caused.

Safety operation temperature/pressure conditions should be evaluated to prevent low-tempe-rature hydrocarbon oxidation from exploding chemical plants. The circumstances are quite similar to knocking phenomenon of premixed charge in spark-ignition internal combustion engines. Ignition caused in a rapid-compression machine will be informative for this evaluation. Cool-flame ignition-delay time "tau" can be measured for acrolein mixtures, and its temperature and pressure dependence and inert-gas dilution effect on the ignition delay will be also estimated by piston-compression experiments of the mixtures. Safe operation of real plants can be accomplished only with residence times shorter than the estimated time based on the conditions at the reactor outlet and transport pipe line connected to the next reaction stage.

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