点火時期 Ignition Timing とトルク/燃費,ノッキング Knocking
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 絞り弁開度 (アクセルの踏み加減) 一定,エンジン回転速度一定の下で量論混合気が供給されているとしたとき,点火時期とトルクとの関係は右図のような上に凸の曲線で表される.トルクが最大となる点火時期のことを "MBT, Minimum Advance for Best Torque" と呼称する (MBT を "Miaximum Brake Torque" として使うこともあるが,本来ではない.点火時期とトルクとで主体が入れ替わっている.もっとも,どう使っても意味の混同はほとんどない).ここでのトルクは正味 (軸) トルクであるが,図示トルクで考えても論理に差があるわけではない.

 点火時期を上死点より以前にもって来ることを "点火進角 Spark Advance" という.このように MBT より進角しても遅角してもトルクが落ち,ある運転条件に対してひとつの MBT があるはずである.いろいろな運転条件で MBT を調べておき,そのデータを ROM に焼けば,点火進角マップ になる.しかし,事態はそう簡単ではない.燃料のオクタン価がその運転条件に対して充分に高くないとノックが生じるので,それは回避されねばならないから,山の頂上としての MBT で運転することは許されない.頂上の無い単に右下がりの曲線部分だけが現実で,そのとき,このトルク曲線の凸部は幻のものになる.

 近年のエンジンには Knock Sensor が付いていて,数サイクルノックが起こると直ちに点火時期を遅らせて,ノックが起こらないところまで退避する.また,学習機能が付いている場合には,その点火時期が記憶され,点火進角マップ が更新される.

 文頭に挙げた運転条件は燃料供給量一定と同義であり,MBT はそこでの最大トルク発生点火時期なので,燃料消費率が最低 (最良) となる点火時期でもある.上の図は,オクタン価 90 桃色では MBT が出ないが,オクタン価 100 のガソリンを供給すれば緑線のように MBT が得られる一例である.ノックが起こる可能性も重なって,MBT よりさらに点火時期を進めるのは無意味であり,それ故に "Minimum Advance" というのであろう.点火進角マップに赤丸印が固定されているエンジンにオクタン価 100 のガソリンを入れても無駄であるが,点火進角マップの初期値が薄青色丸印の MBT になっているところ,たまたま Knock Sensor が働いて点火時期を遅らせていただけなら,オクタン価 100 のガソリンに換えれば,点火進角マップの現在値が MBT に更新されて燃費が良くなる.

 上図の凸曲線の右下がり部分で,オクタン価 90 の桃色線とオクタン価 100 の緑色線とが重なっているのは,そこで運転される限り,燃料のオクタン価に差があっても,燃料による供給化学エネルギー量が同じであれば,トルクや燃料消費率には差がないということを意味している.燃料の発熱量が大きければ,供給燃料量は少なくて済むから,燃料消費率 g/PS⋅h, g/kW⋅h の値はその分だけ小さくなる.このときエンジンのサイクルとして見た図示熱効率を支配するのはまず点火時期であって,燃料に含まれる化学物質などは点火時期に較べればその影響は充分無視できる.


 なぜ点火時期とトルクとの関係が上に凸の曲線になるかは上右の図,p-V 線図で説明される.理想 Otto Cycle の p-V 線図の圧縮・燃焼・膨張過程に重ねて実際の火炎伝播経過を描き込めば,火炎伝播に時間がかかるときの,いわゆる時間損失の大小を知ることができる.上左の図は横軸をクランク角度 θ (回転速度一定なら時刻と同義) とした p-θ 線図 である.p-V 線図で囲まれる面積は図示仕事であり,これを出力軸に換算すれば "図示トルク Indicated Torque" になる.もちろん,吸入空気量・燃料量一定の条件下で考える.

 理想 Otto Cycle では熱供給 (燃焼) は上死点 TDC において所要時間零でなされるから垂直に上がるが,時間がかかる現実ではやや上死点前から始まるように点火がなされる (点火進角).このとき,上左にある p-θ 線図 でなら,ほぼ右上がりの直線で表される燃焼経過は,p-V 線図上に移すと,例えば緑線のように弓形の曲線になる.このときの時間損失は薄緑黄色の面積で示される.このように TDC を挟んで前後に振り分けるように燃やすとき最も損失仕事が少なく,図示仕事の減りが小さくてトルクが出る.MBT はこういうところである.点火時期をもっと進めると青線のようになり,薄緑青色部面積が損失になって,それら損失は MBT のときより大きい.逆に点火時期を遅らせたときには赤線のようになって桃色ハッチング部面積が失われ,やはり MBT のときより損失が大きくなる.

 「ピストンが上へ動いているときに燃やすと,力は真下に向かい,ピストンの運動と反対方向の力になるので良くない」 というようなことをしばしば聞かされる が,もしそれが正しいのであれば,上図の赤線は 「ピストンが下へ動いているときに燃やすと,力は真下に向かい,ピストンの運動と同じ方向の力になる」のですこぶる良いことになるはずのところ,決してそうではない.確かに,「ピストンが上へ動いているときに燃やすと,力は真下に向かい,ピストンの運動と反対方向の力になる」 が,それで失う仕事は上の p-V 線図で薄緑の面積であり,大したことはない.それよりもピストンが下へ動いているときに燃やして失う桃色ハッチング部の方がずっと大きい.熱力学を学ぶ意味はこういうところにある.また,燃焼による圧力上昇を 「爆発」 と表現するのも正しくない.火炎伝播 であって爆発ではない."爆発" とは Blast Wave が生じる現象を言い,火花点火機関の通常燃焼では火炎伝播であるから "燃焼" としか言えない.

 実際のエンジンでの p-V 線図を右図に示す.1.8-リットル, 4-シリンダ,DOHC エンジンの 2,000 rpm 時,50% 負荷のものである.正味トルクで 75 Nm,正味出力で 15 kW くらいの負荷になっている.燃焼による熱発生が TDC をはさんでなされ,その経過が P-V 線図で弓形になっていることが分かる.

 シリンダあたりの行程容積が小さくなると,例えば 4-シリンダエンジンのリッターカーなどでは,燃焼室壁からの熱損失が相対的に大きく,MBT は上死点前であっても上死点にごくごく近くなり,「TDC を挟んで前後に振り分けるように燃やす」 のが最良とは必ずしも言えなくなる.冷却損失の影響は小さくないが,それを考えに入れても入れなくても,MBT は 容積仕事 が最大になる点火時期 として,ノックが起こらないときには現実に,起こるときにはたいていは仮想的に,存在するのである.

 MBT については,まず,容積仕事であるサイクル図示仕事の大小を p-V 線図上で考える以外にない.それ以外の説明では不充分さが残る.このページ最初の,上に凸のトルク特性は図示トルクではなく正味トルクである.MBT は "正味トルク Brake Torque" が最大となる点火時期として定義されていよう.図示トルクと正味トルクとのあいだには,摩擦トルク分の差がある.点火時期が違えば 摩擦トルク も幾分変化する.しかし,点火時期が振られる範囲では摩擦トルクの変化は小さく,図示トルクの点火時期依存がはるかに大きい.それゆえ,MBT をサイクル図示仕事の点火時期依存性として考えても差し支えない.また,MBT そのものはノックと直接関係する概念ではなく,仕事量にのみ関係する概念である.ノックを避けるために点火時期を MBT より遅らせなければならない状況が生じることがあるというだけである.

 模式図を挙げて説明した方が解りやすい場合は多いが,それだけでは実際にどうなっているのか分からないし,縦軸・横軸に定量性がない.実測データがあると安心できる.

 右図は点火時期を 60o 振ったときの指圧 p-θ 線図の一例* である.エンジンは Jaguar 4-litre V8, AJ27.MBT は軸トルクが最大になる条件である.24 Nm なのでごく軽負荷,1,500-rpm での量論運転.燃焼後経緯が滑らかなのは,500-cycle の Ensemble 平均が採られているからである.この運転条件では,MBT より 20o 前に持っていってもトルクは 80 % に低下するだけであるが,20o 遅らせると僅かに 10 % になってしまう.

 * Brown, N. M.: "Charactrisation of Emissions and Combustion Stability of a Port Fuelled Spark Igbition Engine", Doctral Thesis, The Unversity of Nottingham, 2009

 MBT を 熱供給の等容度 で説明することはもちろん可能である.サイクルへの熱供給が上死点 TDC から離れると熱効率が低下する.MBT と等容度が最も高い状況とは,おそらく大きくは違わない.しかしながら,等容度の表現式は作動流体を狭義の理想気体としているうえ,外界とは断熱として記述されたものなので,熱損失がある一般の場合を説明するには厳密性が低い.また,等容度の考え方も,供給した熱量に対する "容積仕事" の最大化というものであるから,結局は同じことを言っているのである.

 点火時期は英語では Ignition Timing, Spark Timing,ドイツ語では "Zündzeitpunkt" である.Spark Ignition は "Funkenzündung", Ignition Spark は "Zündfunke" であって,単に Spark なら "Funke" という.上死点 TDC は "Oberer Todpunkt" で,"OT" と表示される.圧縮上死点であることを強調する場合にはたいてい "Z-OT" となっていて,この Z はもちろん "Zündung" である.進角/遅角,Advance/Retard, Advanced/Retarded は "Früh/Spät" である.当然ながらこれに形容詞語尾変化が伴う.学術用語について,いまの教科書には日本語以外,ほぼ英語のみの掲載で終っているが,かつてはドイツ語が示されていた.それゆえ,カタログくらいならたいていの人がドイツ語でそのまま理解した.もっとも,その教科書の種本がドイツ語のそれであったことに由来しているのは言うまでもない.行程容積 Cylinder Displacement, Cylinder Volume はしばしば Vh と書かれるが,この h は "Hub" から来ている.我々はいまでもこうした伝統を引きずっている.


名古屋工業大学 機械工学科の 「エンジン工学」 という科目で講義していた内容の一部,もしくはそれをすこし増補したものである.
読者を想定している書きようであるかもしれないが,聴講者のある講義が基であるがゆえであり,本稿の趣旨は自分のためのこころ覚えである.

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