2 ストローク機関の掃気 Scavenging in Two-Stroke Engines | ||
2 ストローク機関は衰微しているとお考えの方もあろうが,そういうわけではない.確かに,自動車用機関としてはぼぼ全滅であるし,二輪車でも衰退著しいが,大型舶用ディーゼルの世界では,これなくしては一日たりとも立ち行かない.このページの目的とするのは,どういうことで 2 ストロークディーゼル が成立するのかということを,シリンダに酸化剤としての空気を用意するという視点から説明することである.
2 ストローク機関は現在は極々ごくごく小さい火花点火機関か,往復ピストン機関としては最大規模の 2 ストロークディーゼル機関かの,両極端しか存在しないという状況にある.大型舶用ディーゼル は別ページに示した.右図は極々小さい方の,二輪車用機関の例である. |
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ピストンが下降し,下死点に近づくとまず排気孔が開いて既燃ガスが大気圧下の排気管へ流出し始めると同時にシリンダ内圧が Blow-Down で下がる.それに遅れて掃気孔が開く.この様子を下の二つの図で示す.後者の半円はクランクの下半分を表す.その右側は掃気期間中のシリンダ内圧力の経過である.クランクの下半分のピストン移動方向に合わせたため,通常の p-V 線図を 90°回転させた配置になっている.掃気孔が開いて加圧された掃気が流入するといえども,流路の他方は大気圧近くの排気管に開かれているから,シリンダ内圧力は掃気圧そのものより低い状況で推移する.
2 ストローク機関の掃気についての取り扱いは P. H. Schweizer による 1949 年の著書の内容に止めを刺す.それを学習せずして内燃機関技術者とは言えない.機械工学の絶妙さを見ることができる.けれども厳密にやっていくと,あるところで,数学的厳密さの虜になって時間の大半が消費される.現実にはそこで状態量について大幅な近似,妥協をして,ようやく前が見えるようになる.シリンダを意味する添字が Zylinder の z であることなどに独語の名残がある.
ここで留意すべきことは,以下の取り扱いでは,ユニフロー掃気・高過給については一旦横へおいておかねばならないことである.掃気孔と排気孔とが同時に開いている状況と,掃気は加圧されているとはいえ大気圧を僅かに越えるだけという状況とを前提として読む必要があるからである.
・まずは指標の定義から
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掃気効率 Scavenging Efficiency
掃気効率は新気の濃度を表す尺度である.しかし,掃気として導入された量,つまり給気比を大きくすれば,新気濃度が高まるから,効率的な掃気操作の尺度にはならない.そこで,掃気操作が効率的かどうかを次の給気効率で表現する.給気効率という語彙は定義に沿ってはいるが,意味を十分伝えているとは言いがたい.Trapping Efficiency の方が内容を示している.
給気効率 Trapping Efficiency 4 ストローク機関の容積効率,充填効率とは以下の関係にある. 純度 Purity 燃料/空気混合比が希薄であれば,できた既燃ガスには酸素が残っていて,その酸素は次のサイクルで燃焼に与る可能性がある.チャージの酸化剤含有割合として定義されたものが純度である. |
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火花点火機関が量論混合気で運転され手いる場合には既燃ガスに酸素が残らないから,ηp = ηs である. これらの状況を右上方の図と右下方の図に示す.前者は掃気操作が終わって,圧縮行程に入ろうとする瞬間の状況であり,これが圧縮され,そこに燃料が噴射されることが想定されている.後者は,シリンダへの流入から,燃焼,シリンダからの流出に至る一連の経緯を諸量の定義に沿った関係として描かれている.これらの図で,燃焼生成物と過剰空気とをそれぞれ片側に寄せ分けて描いてあるが,もちろん実際には混じっている. 行程容積を相当質量 mh0 とシリンダ全体の円弧がシリンダチャージ質量 mz 円弧より外側にあるのは必然ではない.シリンダに留まらない "素通り" Short Circuiting があるからでもあるが,それよりも過給が効いていない状況を表した図になっているからである.しっかり過給されているなら,シリンダチャージ質量 mz は外気状態で行程容積を占める給気質量 mh0 を越える. |
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掃気の考え方
掃気過程では流入する掃気新気の前に既燃ガスが存在する.両者は混じらないのであろうか.こういうことを考える題材として,深夜電力温水器を例に出すのがよいであろう.もちろん深夜電力でなくてもよい.電気温水器というものの構造 は単なる筒であり,底に近いところに電気ヒータが入っていて,85°C に沸いた湯が上方から出て行くと下方から冷たい水道水が補給される.タンクに入っている量は全体としては一定であり,湯と水との境界に断熱板などは入っていないらしい.昼間に大掃除などで湯をどんどん使うと,突如として水しか出てこなくなる.そうなると風呂の湯を張ることができない.湯と水とは混じらないのであろうか.あるいは熱伝導でどんどん湯が冷めないのか,疑問であるが,湯から水に急に変わるところをみると,あまり混じらず,伝熱による温度低下も比較的小さく,混合層はそれほど厚くないらしい.
エンジンでは流れは乱流であるから,こういうふうには行かないと予想されるが,有難くも理想的な場合と,最悪のケースという両極端が想定される.これらは工学としての極限であり,それより向こうはあり得ず,現実の経緯は必ずその中間にあるという取り扱いである.学問としてこれは真っ当なアプローチであり,掃気過程についてでなくても,極限を押さえるのは,まず最初にやっておくべきことである.
a) 完全層状掃気 もとの名称は Verdrängungsspülung であり,"押し除けて行く掃気" という意味である.排気と掃気新気とが混じらず,排気は必ず掃気新気の前を行くから,排気が完全に排出された後でしか掃気新気が排気孔に達することはないというモデルであって,理想側の極限である.模式的に描けば右のようであろうか. |
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排気と掃気新気とが混じらず,排気は必ず掃気新気の前を行くから,排気が完全に排出された後でしか掃気新気が排気孔に達することはないというモデルであって,理想側の極限である. 掃気新気量 ms をシリンダチャージの状態 pz, Tz をもとにした給気比 lz で表現すると, 掃気効率はその定義から, のときには, lz >1 なら ηs =1 である. |
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・ として考えるなら,熱交換が全くないから,この場合には単なる幾何学であって,考えなければならないところは何もない. であれば,pz = const. になる.ここで,掃気過程でのシリンダ内圧を外気圧と等しい,つまり pz = p0 という場合を想定して掃気効率,給気効率,純度を描いたものが右上の図である.
図中の λ は空気過剰率である.火花点火機関ではたいてい量論比混合気で運転されるので,λ=1 であるが,ディーゼル期間では必ず希薄域での運転なので,λ は 1 以上であって,純度 Purity に意味が出てくる.
この特性は上方のクランク下半分半円図のように,排気孔開閉,掃気孔開閉が下死点に対して対称で,掃気孔が閉じた後でしか排気孔が閉まらない構造の横断掃気やループ掃気でのことであり,最初に述べたように,ユニフロー掃気のような掃気孔開閉と排気弁開閉とが独立で,排気弁を閉めてから掃気孔からさらに新気を押し込むという場合を想定していないことに留意する必要がある.
b) 完全混合掃気
もとの名称は Verdünnungsspülung であり,"薄めて行く掃気" という表現である.右にその模式図を挙げる.
掃気孔から掃気新気が質量で dms だけシリンダ内へ給気されると,それが瞬間的にシリンダ内チャージと混じり,その新たな組成で排気孔から質量で dme だけ出て行くとする.入ってきたものは刻々直ちに完全にシリンダチャージと混じって,シリンダチャージはそれに応じた一様な組成となって変化して行くというモデルである.それゆえ,排気管内に最初出たものは既燃ガスそのものであるが,掃気が開始されると順次掃気濃度が上がったものが出て行く.時間零で混ざるという極限である.
排気孔から出て行く dme に含まれる新気は,完全混合の仮定から ηs⋅me であるから,シリンダ内の新気について,留まる量は,
シリンダ内にある全ガス量の変化は, この二式から, |
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シリンダ内へ給気された掃気新気質量 dms を,そのときのシリンダ内状態 pz, Tz で考えた微小時間給気比 dlz で表現すると, これを二つ上の式に入れると, となり,初期条件 ηs = 0 at lz = 0 のもとで積分すると, 二つ上の式で lz を考えると, |
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掃気新気容積 dVs がシリンダ内へ給気された瞬間にシリンダチャージと熱交換して,状態 pz, Tz になったとして,その変化後容積の行程容積に対する比がその微小時間間隔における給気比 dlz であり,それを積分したものが lz である.このとき,シリンダ内の状態 pz, Tz に依存せず二つ上の式が成り立つ.この給気比 lz と外気状態 p0, T0 で定義された給気比 l0 とは次式の関係で結ばれる.
掃気効率を得るには給気比 lz を知ればよい.いま,シリンダチャージとシリンダ壁との熱交換がないと仮定すると,そのときのエネルギー保存は,
掃気過程でのシリンダ容積変化は小さいとして dVz = 0, それに加えて,掃気新気と排気の比熱ならびにガス定数が等しいと仮定するなら,
すなわち,掃気過程で状態 pz, Tz がどう推移するかが分かれば lz が得られる.
・ の場合
いま簡単のために上式で と仮定すれば,pz = const. になる.ここで,掃気過程でのシリンダ内圧を外気圧と等しい,つまり pz = p0 という場合を想定すれば,三つ上の式から lz = l0 となって,次式が得られる.
上に挙げたクランク下半分半円右手の掃気期間中のシリンダ内圧力経過を併せ見ればどういう条件下のことであるかがお解りいただけよう.この条件を与えて,掃気効率,給気効率,純度を描いたものが右上の図である.この図は完全混合掃気を把握する上での標準となるものである.
シリンダ容積相当量を給気した,給気比 l0 = 1 において掃気効率 ηs = 0.632 である.これが "素通り" Short Circuiting のない場合の極限,下限であって,素通りさえなければこれ以下にはならない.量論運転の火花点火機関ではいささか期待以下ではあるが,希薄運転のディーゼル機関でなら,給気比を l0 = 1.2 程度にまで上げれば純度 ηp が 0.8 程度になって,それが最悪値でもあるから,4 ストローク機関と遜色ない程度に酸化剤をシリンダに用意している ことになる.
c) 素通り
a) 完全層状掃気 と b) 完全混合掃気 は対になる極限であるが,これらとは別の極限がある.それが "素通り" Short Circuiting であり,模式的に描くと右図のようになる.既燃ガスと掃気新気とは混じらないが,掃気は掃気孔から排気孔へ最短距離で移動するというものである.素通りという名称なので,導入された掃気新気はすべて排気孔へ行ってしまうように聞こえるが,図から分かるように,最短距離流路にある掃気新気だけはシリンダに留まる.掃気効率,給気効率は低いながらも,零ではない.しかし,その留まり方は掃気孔,排気孔の配置 Configulation に依存するから,a) 完全層状掃気,b) 完全混合掃気 のような一般性のある記述はできない. ここで言う最短距離から離れて,一旦シリンダ内の遠方まで行って,そのあとた排気孔から出た掃気新気は,この素通りと区別して "吹き抜け" Passed Through と呼ばれる. |
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現実の 2 ストローク機関でなされる掃気は,これら a) 完全層状掃気,b) 完全混合掃気,c) 素通り の入り交じった現象である."極限" を知っておくと,それより先の現象はあり得ないから,現実は必ずそれらの内側にあるとすることができる.こうして思考を切り分け,確定ではなくとも,現象を絞り,ある範囲から逸脱した認識を排除する.
a) 完全層状掃気 と b) 完全混合掃気 では素通りは想定されていない.そこでは給気比を l0 = 1 以上に上げると上げた分だけ "吹き抜け" Passed Through になる.火花点火機関では混合気が逃げるので好ましくないが,ディーゼル機関でなら空気が逃げるだけであるから,そこもディーゼルでなら 2 ストロークが成立するという要因である.もっとも,火花点火機関でも空気で掃気し,燃料をシリンダ内に直接噴射するというシステムでなら 2 ストロークが成立し,多くの研究組合企業やエンジンメーカから提案が出ている.市販車に搭載された例はまだない.
・ユニフロー掃気・高過給機関では
ユニフロー掃気・高過給については一旦横へおいて,と最初に書いた.過給するということは,例えば給気比 l0 = 2 にするということである.給気比 l0 は外気状態 p0, T0 で定義されているから,過給率が上がれば給気比 l0 が大きくなる.しかし,ユニフロー掃気では上の図にあるような,給気効率 ηtr が給気比 l0 = 2 に向かって下がってくるという状況は想定されていない.排気弁を閉じて掃気孔から押し込むだけである.給気効率 ηtr は落ちない.既燃ガスを一割シリンダに残して排気弁を閉じても,給気比 l0 = 2 まで新気を押し込めば,見かけ上,掃気効率 ηs = 0.95 になる.純度 ηp で言えばもっと上がる.排気弁が開いているときに,排気管もしくは排気レシーヴァに掃気新気が達するのも過給機としては有難くない.ユニフロー掃気・高過給は電気温水器と同等なのである.Bore に対して Stroke が長いのも,既燃ガスと新気との混合を抑えている.そこでは完全混合掃気という概念が放棄されているだけでなく,掃気という概念そのものが希薄になっている.けれども,このことがユニフロー掃気・高過給がいま隆盛を誇る根拠にもなっている.
Still not fixed !
名古屋工業大学 機械工学科の 「エンジン工学 」 という科目で講義していた内容の一部,もしくはそれをすこし増補したものである. 読者を想定している書きようであるかもしれないが,聴講者のある講義が基であるがゆえであり,本稿の趣旨は自分のためのこころ覚えである. |