エンジンオイルの低粘度化と燃料消費低減
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 エンジン潤滑油の改良によって燃料消費率を下げようとの試みが継続的になされている.しかしながら,それによって得られるゲインはいまだ数パーセントに留まる.改良の手法は主に低粘度化であって,火花点火機関の低粘度油として,現在実用に供される低粘度の油の限界は 0W-20 の粘度分類に属するものである.

 エンジン摩擦 Engine Friction について公開されているデータのうち,こうしたエンジン潤滑油による低燃費化がどのようなものであるのかを説明するための資料を物色して,まずまず適当と思われるもの* があったのでここに紹介する.

 * Koyamaishi, N., et al.: Study of Future Engine Oil (First Report): Future Engine Oil Scenario, JSAE 2007-7045/SAE 2007-01-1977, 2007 JSAE/SAE International Fuels and Lubricants Meeting

 そこで供試されている潤滑油 A, B, C, D を下表に示す.そのどれも "SAE J300, Nov., 2007" の粘度分類に適合しない.40o C,80o C ならびに 100o C の動粘度からだけ見れば,潤滑油 B および C は 0W-20 に,潤滑油 D は 0W-30 の範囲にあるが,高温高剪断粘度 HTHSV の規定最小値を満たさない.潤滑油 A, B, C では HTHSV の絶対最小値 2.6 mPa⋅s 以下であり,潤滑油 D だけが HTHSV の絶対最小値 2.6 mPa⋅s を持つが,0W-30 ならその規格値は 2.9 mPa⋅s 以上であるからである.これらいずれの潤滑油にも Friction Modifier は添加されていない.潤滑油 A は今後規格に入ることがあれば 0W-10 に当たるものに近いであろう.現在市場に出回っている 10W-30 などがここに出てこないのは,将来的に使われる可能性を考えた燃料消費節約型の低粘度潤滑油を対象とし,現在のものについて考察しているわけではないからである.

 潤滑油
動粘度 ν (80o C) [mm²/s, (cSt)]
HTHSV μ (150o C) [mPa⋅s, (cP)]
A 
6.6 
1.7  
B 
7.8 
1.9  
C 
10.9 
2.3  
D 
13.3 
2.6  


 これら A, B, C, D の潤滑油を,直列 4-シリンダ,総排気量 1.497-liter,DOHC Roller-Follower Valve Train の火花点火機関に充填して,冷却水温,潤滑油温ともに 80o C のもとで実験値が採取されている.明確には表示されていないが,モータリングにて駆動トルクが計測されたものと想像される.示されている結果を抜粋すると以下のようである.


 上図はエンジンを回転させるに必要とされるトルクをエンジン回転速度について調べたものであり,エンジン摩擦損失 Friction Loss と呼ばれるものである.ここでの Friction はいわゆる Mechanical Friction であり,ポンプ損失 は含まれていない (原文にはポンプ損失が除かれているかどうかの記述はない).このトルクは摩擦平均有効圧 Friction Mean Effective Pressure, FMEP と一対一の関係にある.モータリングにて計測されているものなので,エンジンの負荷が上がったために摩擦損失が増えるという特性は表現され得ない.補機無装備,冷却水温・油温 80o C,無圧縮モータリングにて計測された値であることに留意してデータを眺められたい.

 1,000 rpm くらいまでの低速では,エンジン摩擦損失の潤滑油粘度特性による影響はほとんどない.低速側に向かって摩擦がやや増えていることについては後ほど触れる.1,500 rpm あたりから上,回転速度が高くなるほど,粘度による摩擦損失の差が出るようになる.低粘度油ほど摩擦損失が小さい.これは主として絶対粘度 μ の差に由来していよう.回転が上がると摩擦損失が増すのは速度勾配が大きくなるためである.しかしながら,潤滑油によって摩擦損失に差が出ると言っても最大で 15 % の差であって,多用される運転速度域での差は 10 % 以下である.

 エンジンオイルの粘度と粘度指数のページで 「潤滑油の選択によって燃費改善を図るのは,エンジンメーカと石油会社は営々努力していても,最大で 3 % の世界である」 と言ったのはこうしたことからである.正味平均有効圧 BMEP = 図示平均有効圧 IMEP - 摩擦損失平均有効圧 FMEP であって,摩擦損失平均有効圧 FMEP に冷却水ポンプ,潤滑油ポンプなど内部的な補機駆動仕事や,さらにはオルタネータ,エアコンディショナコンプレッサなど外部的な補機駆動仕事を繰り入れるなら,潤滑油の粘度による燃費低減の効果はその重みを下げ,せいぜい 3 % の世界になる.

 ピストン・コネクティングロッド関連の摩擦損失についても,図はここに示さないが,上の全エンジン摩擦損失と同様の傾向を示す.ただし,縦軸スケールは半分の 5 N⋅m になっている.つまり,ピストン・コネクティングロッド関連でも 1,200 rpm から低速側に向かって摩擦が増える.これに対し,クランク軸に関する摩擦損失は回転の上昇と共に単調に増加し,低速域で増加することはない.その図の縦軸スケールは 3.5 N⋅m である.


 Roller-Follower を持つ動弁系の摩擦損失だけを取り出したものが上図である (原図では縦軸が 0.4 からとなっているものを 0 からに改めた).先の図とは縦軸の絶対値が一桁程度小さい.2,800 rpm 以上の高速側では,摩擦損失の潤滑油の粘度による影響は動粘度ならびに高温高剪断粘度 HTHSV の大小と正の相関にあるが,2,800 rpm 以下の低速側ではそれが逆転して負の相関になる.すなわち,低速域では低粘度の潤滑油ほど摩擦損失が大きく,その大きさは高速域のそれを越える.これは,動弁系の Cam Follower で充分な摺動速度が得られないとき,境界潤滑 へ移行する割合が増えるためであると考えられる.油膜厚さという概念はこのように動弁系にのみ適用される.摺動速度が低くても油膜が薄いと高剪断となるからである.ここには示さないが,潤滑油温が 45o C くらいに下がるとこの逆転は起こらないことから,これが高温高剪断粘度 HTHSV の重要性を表している.ここで留意しなければならないことは,上の図は油温 80o C での状況を示しており,高温高剪断粘度 HTHSV が定義されている油温 150o C での状況ではないことである.油温 80o C においてすらこうなるのであるから,油温 150o C でなら推して知るべしと読むべきものである.この問題は,ここで示されている摩擦損失の増大だけなら大した問題ではないが,増大の原因から鑑みて,それが動弁系の摩耗,齧り,焼付につながる恐れのあることを意味しており,低粘度油の評価基準としての高温高剪断粘度 HTHSV 絶対最小値 2.6 mPa⋅s の意義もここにある.

 ピストン・コネクティングロッド関連でも低速側に向かって摩擦が増えているが,低速では粘度による摩擦損失への差がほとんど見られなくなるだけで,粘度低下は摩擦損失増大まではもたらさない.ひとつ上の図で 1,000 rpm くらいまでの低速においてエンジン摩擦損失が低速になるほど僅かながらも増加しているのは,ピストン・コネクティングロッド関連の低速域での増加と,ここの動弁系の低速域での増分が反映されたものである.このことから,摺動速度が低下する上死点,下死点近傍でのピストン/シリンンダ間潤滑においても境界潤滑域が存在することが示唆されている.すなわち,エンジンの潤滑では,まず低速での動弁系,低速でのピストン/シリンダ間が依然問題を残し,それら以外ではほぼ流体潤滑で推移することが分かる.低速で摩擦損失が増えることに対して,潤滑油ポンプの特性から 油圧,流量が規定値に達しないという条件下 であるのかどうかを,ここでのデータから切り分けることはできない.

 このような資料を読むとそこからいろいろなことが演繹的に出てくる.低粘度に振れば摩擦損失が減るという部位/条件については流体潤滑が成り立っている.その範囲内においては低粘度でよい.それが反転して,低粘度に振れば摩擦損失が増えるという部位/条件では境界潤滑領域に入っているとおおまかに分けて考えることができる.同一粘度において潤滑油の良否を数種にわたって比較するなら,境界潤滑領域の多くを流体潤滑領域に入れて,境界潤滑領域に留まる部位/条件を最小にするような潤滑油が最良の評価を得るであろう.そういう評価基準からは,粘度指数が高く (温度依存が小さく),高温高剪断粘度 HTHSV がそれなりに保たれている潤滑油ということになる.

 しばしば油膜の厚いオイルをという言辞を見るが,"油膜が厚い" と言って,どこの油膜のことなのかが不明である.解放空間での潤滑油がしたたり落ちにくいことを言っているのであれば,それは単純に動粘度が高いだけである.

 クランク軸主副軸受の油膜厚さというのはほとんど意味がない.なぜなら,軸外径と軸受内径には設計上の嵌合隙間があり,潤滑油とは独立に,温度条件が与える互いの膨張などを経てある瞬間の隙間が決まる.そこでは,その間隙に潤滑油が存在するかどうかが問題になるだけで,油膜厚さというのは機械的な隙間であるから,粘度によって油膜厚さが決まることはない.隙間は固体が決め,液体である潤滑油はその隙間に圧送されて入っていくだけである.コンロッド,ピストンピンなどの軸受についてもほぼ同様である.ピストンリング/シリンダ間油膜厚さは,軸受楔理論などについてやや異なる点はあるものの.雑に言えば,上死点/下死点付近で境界潤滑状態になりやすいのを除いて,やはり固体の寸法の問題である.低粘度に振れば摩擦損失が減るという部位/条件の側にまずは分類しておく領域である.

 一方,カムの表面などでは,相対する面が有るときと無いときとが交互に来る.潤滑が必要なのは相手の面があるときだけであり,このとき単に油膜厚さの問題だけでなく,いわゆる動的な極圧の問題が絡む.まだ互いが触れ合っていないときには,カム表面には潤滑油が残っているが,タペットなどが押しつけられると,その潤滑油は押し付けられる力と直角方向の側面,四方へと排除されようとする.それでもなお,接触面間が濡れているかどうか,油膜が形成されているかどうか,金属同士の接触がないかどうかが問題である.こちらの指標を "高剪断粘度" で代表させていると看做すこともできる.極圧の代表例は,ディファレンシャルギアに使われているハイポイドギアである.歯車の歯面が単に押し付け合っているという状態ではなく,そこに滑りが伴うからである.単純なギア油というもの以外にハイポイドギア油というのが特別にあるのはそのためである.カムの表面というのはそれに近いものであり,そこをハイポイドギア油ではなく,エンジン油で対処しなければならないのが難しいところである.おおまかには,こちらを低粘度に振れば摩擦損失が増えるという部位/条件に入れておけばよい.

 さて,上に紹介した資料では,潤滑油に摩擦調整剤・摩擦低減剤 Friction Modifier を添加したときの効果については触れられていない.流体潤滑から偏り,混合潤滑域,境界潤滑域に入ったときの,特に動弁系における摩擦を減らすのに,摩擦調整剤 Friction Modifier, FM を潤滑油に添加するというのがこれまで一般的に採られてきた手法である.

 現在主流の摩擦低減剤 Friction Modifier, FM は "MoDTC" Molybdenum Dithiocarbamate モリブデンジチオカーバメイト (通称),硫化ジアルキルジチオカルバミン酸モリブデン である.これは旭電化工業 (アデカ) の半田卓郎氏らの功績によるものであり,我国だけでなく,北米にも広く普及している.MoDTC がどのように,またどの程度効果を与えるかは,例えば,Internet に上がっている 資料* などから知ることができる.しかしながら,摩擦調整剤 Friction Modifier, FM の効果は摺動部の材質や表面粗さなどに大きく依存する.MoDTC は材料が鉄系である場合には効果があるが,最近 Roller-Follower 動弁系で Cam と Cam Lifter に採用されるようになった DLC, Hydrogen-free Diamond-like Carbon Film Coating には MoDTC はあまり効果がなく,"GMO" グリセリンモノオレート,"GME" グリセリンモノオレイルエーテル などの無灰系摩擦調整剤 Ashless Friction Modifier の方がはるかに効果が大きいことが知られている.* 大森・服部:エンジン動弁系カム-シム間摩擦解析,豊田中研 R&D レビュー,36-1, (2001) 39-41

 潤滑油は燃料に次いで異車種への汎用適用性が保証されるべきものであるが,それが必ずしも実現され得ない状況にある.ATF, Automatic Transmission Fluid と同じように,機種ごとにそれぞれ異なる銘柄が与えられることになるかもしれない.すなわち,0W-20 の粘度分類,将来的には 0W-10 というような粘度分類に該当する低粘度油では,エンジンごとに異なる潤滑油を指定するという事態になる可能性がほの見えるのである.


 Still not fixed.


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