ディーゼル機関の着火と燃焼
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 往復ピストン式エンジンでは,特殊な意図がない限りは,圧縮上死点近傍で熱発生が得られるようにする.サイクル論 で分かるように上死点から離れた位相での熱供給は仕事への変換割合が下がるからである.このことは 等容度 が高い/低いというように表現される.熱発生の位相を人為的に決める手段は,火花点火機関では火花放電であり,ディーゼル機関では燃料噴射である.

 ディーゼル機関のシリンダには新気としては空気だけが吸入される.シリンダチャージは吸入空気に残留ガスが混じったものである.上死点までピストンがチャージ を圧縮したとき,圧縮終り温度は 850 - 900 K になる.もちろんこれは定常運転時の圧縮終り温度であって,始動時や負荷が大きく変わるときはこの限りでない.

 一般には上死点の少し前に,燃料はノズルから噴射される.右は直接噴射式機関で供給される燃料噴霧 Fuel Spray であり,中央にあるのが燃料噴射ノズル Fuel Injection Nozzle である.下に述べるように,この程度の温度にしないと,燃料を噴射したときに着火遅れが 2 ms 以下にならず,着火遅れの変動が大きくなって円滑な運転とはいえなくなる.また,圧縮終り温度が高いとチャージの粘度が上がり,燃料噴霧が所定のところまで届かない.


 圧縮終り圧力は圧縮比や過給/無過給によって異なるが,無過給でも 30 bar 程度はある.こういう場に燃料が噴射されるが,燃料噴霧は直ちに着火するわけではなく, 850 - 900 K の周辺気体 (チャージのことであるが,残留ガス混じり空気のことなので,とりあえず "空気" とも表現する) と混じって可燃性混合気が形成され,その混合気が自着火前反応を経由して着火する.こうした開始過程から燃焼の終了までは下図の圧力経過模式図に示すように四つの期間に分けて考える.

 1) 燃料を噴霧し始める位相を噴射時期 Fuel Injection Timing といい,そこから着火が起こる位相までが "着火遅れ期間" である.

 2) 着火は混合気が形成された箇所から起こり,その周辺も近い状態にあるから,あまり間をおかずに複数箇所の混合気も着火し,その位相が上死点近傍であれば容積変化がほとんどないから,着火による熱発生で一挙に圧力が上がる.この期間は "予混合的燃焼期間","無制御燃焼期間","爆発的燃焼期間" などと呼び習わされているが,中身は "着火" そのもの である.Sabathé サイクルにおける定容受熱期に相当する."的" を入れずに "予混合燃焼" ということも多いが,好ましくない.これに続く "拡散燃焼期間" と対にして使うのであろうが,予混合火炎伝播燃焼とは別機構で生じるものに同じ語彙を充てると紛らわしい.この期間では基本的に火炎伝播も拡散も関係ない.混合気の着火である.


  3) 着火とは火炎が発生することであり,着火した後も燃料噴射が継続されることが多い.燃料噴霧は微小な液滴の集合であり,すでに存在する燃料液滴も,ノズルから供給されるそれも,着火で生じた火炎から引火して,液滴として燃える.単一液滴燃焼の代表形態はエンヴェロープ炎とウェーク炎であるが,ディーゼル機関では,次に述べる "後燃え" 期間を除き,そういう単一液滴燃焼ではなく群燃焼である.この段階では燃料と酸素との邂逅がいかに速やかになされるかで熱発生の速さが決まるから,乱流拡散,分子拡散など拡散スケールの大小を問わず拡散律速である.この意味からこの期間は "拡散燃焼期間" と呼ばれる.おおまかには燃料噴射の燃料供給速度で熱発生速度が拘束されることから,先の "無制御燃焼期間" との対で "制御燃焼期間" と呼ばれることがある.Sabathé サイクルにおける定圧受熱期に相当する.

 4) 噴射ノズルからの燃料供給が終了しても直ちには燃焼は完了せず,緩慢に燃え続ける.燃料噴射末期,ノズル閉塞に近い時期に導入された燃料は大粒径滴となりやすいし,すでに燃料周辺には既燃ガスが増し,酸素濃度が低下している上に,ピストンの下降とともにチャージの温度も低下してくるという理由からである.この期間を "後燃え期間" という.これが長引くと排気温度が上昇するとともに粒子状物質 Particulate Matters, すす が増える.

 このような経緯を辿るので,ディーゼル機関を簡易に表現するサイクルとしては "Diesel サイクル" ではなくて "Sabathé サイクル" が適当である.このことは,低速ディーゼルであるとか高速ディーゼルであるとかということとは関係ない.100 rpm くらいで回転する大型舶用 2 ストロークディーゼル機関においても着火の圧力上昇はしっかりとあるから,定容受熱期がないという "Diesel サイクル" での取り扱いには無理がある.


 燃料噴霧は微小な液滴の集合であり,単一液滴の粒径は 5 - 100 µm と広く分布するものの,そのオーダでは 20 µm である.近年の 2000 bar もの高圧噴射では,平均粒径はこれよりずっと小さいが,それとて 20 µm からの延長線上で考える.

 燃料噴射から着火までの現象をを考えるには,まず最初に,最も簡単な単一液滴を取り扱う.その模式図を右に示す.

 燃料液滴は周囲空気によって加熱され,蒸発するとともに沸点まで温度が上がる.蒸発が進むにつれて液滴径 r は減少する.pfuel は液滴周りの燃料蒸気分圧 (青) であり,液滴表面で最も高い.燃料蒸気は分子拡散で拡がり,液滴表面から離れるにつれてその分圧は漸減する.酸化剤:空気の分圧 pair (黄土色) は遠方では全圧そのものであるが,液滴に近づくと燃料蒸気が拡散で入ってくる分だけ下がる.燃料分圧 pfuel も空気分圧 pair もほどほどにあるというところは可燃域であり,自着火域でもある.自着火が起こり得る温度 Tign (紫) は混合比の関数であり,量論比よりやや濃いところで最も低く,それより濃くても薄くても高くなる.混合気は液滴温度に等しい燃料蒸気とそれより高温の周囲空気との混合物なので,その温度 Tmix (赤) は液滴温度と周囲空気温度とのあいだを繋ぐ曲線で表される.可燃混合気部では燃料の分解と低温酸化反応,いわゆる自着火前反応 Preflame Reaction が進行して,混合気自らの温度を押し上げる.自着火可能温度 Tign (紫) より混合気温度 Tmix (赤) が上回れば自着火が可能になる.時刻 1 や 2 では自着火可能温度 Tign (紫) と混合気温度 Tmix (赤) が離れているが,時刻 3 では両者が接して,着火へと進む.

 さらに単純化のために仮定をおく:沸点に至るまでは蒸発せず,液滴内部に温度分布はない,蒸発は沸点温度で継続される,とする.

 温度上昇と蒸発は物理過程であり,この期間も着火前に必要な時間であるから,これは合わせて "物理遅れ期間 τph" と呼ばれる.続いて述べる "化学着火遅れ期間 τch" を加え,燃料噴射から明確な発熱/圧力上昇が得られるまでの期間が 着火遅れ τ = τph + τch であるが,液滴温度上昇も,蒸発も,前炎反応も,現実にはすべて同時進行しており,はっきり分割できるものではない.あくまでもそれぐらいという目安である.

 1) 物理遅れ期間 τphτph = τh + τv

 1a) 温度上昇期間 τh

 上の図では液滴の大きさを半径 r で表現しているが,ここからは直径 d で表現する.
である.液滴が時間 dt の間に温度 Tair の周囲空気からその表面を通して熱をもらい,dTfuel だけ温度が上がるとき,その熱平衡は,


であって,ここに c は比熱,ρ は密度,ha は周囲流体から球体への熱伝達率である.整理すると,


周囲流体から球体への熱伝達については,よく知られた Ranz & Marshall の半実験式:

があり,ここに Nu はヌセルト数である.Re はレイノルズ数であり,Re は液滴と周囲空気とのあいだの相対速度 w を代表する.Pr はプラントル数なる物性値であり,定数として扱え,ほぼ 1 である.これを上の式に入れる.液滴と周囲空気とのあいだの相対速度が小さい,Re が 0 の極限について積分すると,液滴の初温度T0,fuel から液の沸点TS,fuel まで温度が上昇するのにかかる時間 τh が次のように得られる.

 1b) 蒸発期間 τv

 液滴温度が沸点に達した後は蒸発が進み,液滴径が小さくなる.液滴が時間 dt の間に温度 Tair の周囲空気からその表面を通して熱をもらい,それが蒸発潜熱をまかなうから,


ここに L は液の蒸発潜熱である.蒸発した燃料を周囲の温度まで上げるための熱供給もここに含めておく.整理すると,

 蒸発過程について,熱伝達と物質移動とのあいだにアナロジーが成立するとすると,物質移動についての Ranz & Marshall の半実験式:

が使える.ここに Sh はシャーウッド数,kD は物質移動係数 [m/s], は溶質の物質拡散係数 [m2/s] である.Sc はシュミット数で,Pr と同様,物性値で,ほぼ 1 の定数として扱える.球形液滴の蒸発について,pv,S を液滴表面における燃料の蒸気圧,pv,∞ を液滴無限遠方における燃料の蒸気圧,とすると,

ここに Tm は液表面燃料蒸気と無限遠気体の平均温度である.

 先の昇温期間と同じように,液滴と周囲空気とのあいだの相対速度が小さい,Re が 0 の極限について考えると,


液滴無限遠方における燃料の蒸気圧 pv,∞ は 0 とすることができる.液滴温度TS,fuel は燃料の沸点であり,蒸発過程で変化しない.上記第二式の右辺は燃料沸点と周囲空気温度 Tair のみの関数であって,周囲空気温度・圧力一定の下では定数となる.すなわち蒸発液滴直径の自乗則が成立して,

  

積分すると,

 2) 化学的着火遅れ期間 τch

 とりあえずの実験式としていろいろと提案があるが,おおまか次式のような形をとる.C はエンジンに依存する定数,φ は当量比,p0 は基準となる圧力である.


定数を入れた表示式として次式の例がある.


これにいま φ = 0.6, p = 3.13 MPa, T = 816 K と与えると, τch = 1.56 ms が得られる.ひとつ前の式で -1.9 < b < -1.6 となっているのになぜ b = -0.445 になっているのかとか,φ = 1.06 というような着火しやすい混合比を与えないのかという議論は当然生じるであろう.Livengood-Wu 積分のページにある速度定数 も参照されたい.

 * Borman, G. L. and Ragland, K. W., Combustion Engineering, 397-398, WCB/MacGraw-Hill, (1998), ISBN 0-07-006567-5


始動時には

 「圧縮終り温度は 850 - 900 K になる」 と冒頭で述べた.ただし,「もちろんこれは定常運転時の圧縮終り温度であって,始動時や負荷が大きく変わるときはこの限りでない」 と断ってあるように,常時この温度というわけではない.シリンダチャージは吸入空気に残留ガスが混じったものである.吸入空気量に較べて残留ガスの量は少ないが温度は高い.燃料ー空気サイクルの例題 で示したものでは,吸入空気温度: 300 K,残留ガス温度: 930 K から,圧縮始め温度は 367 K (94o C) となっている.始動時には,残留ガス温度が外気と同じ程度に低いという状況にある.つまり,圧縮始め温度は吸入空気温度: 300 K (27o C) にほぼ等しい.例題では,上死点までピストンが圧縮するポリトロープ指数を n=1.32 としたが,始動時には燃焼室壁温が低いから,吸入行程で壁から熱を貰うことがなく,冷える一方なので,ポリトロープ指数 n=1.30 の圧縮と考えれば,圧縮終り温度は 689 K (416o C) である.これは吸入空気温度: 300 K (27o C) のときである.それでは冬の北海道や南極へ持って行くとどうかというと,いま外気温を 257 K (-20o C) とすれば,圧縮終り温度は 582 K (309o C) とでる.

 それで始動できる.化学的着火遅れ期間 τch の実験式に入れて着火遅れを勘定してみれば,温度が下がった分だけ加速度的に着火遅れが延びる.しかしながら,始動時というのは回転速度が低いから,時間はたっぷりとある.着火遅れが 1 ms のオーダでなく,100 ms であっても差し支えないし,燃焼の等容度などを云々する必要もなく,上死点を越え,ピストンがかなり下がったところで着火しても,"完爆" があればエンジンは立ち上がる.-20o C というような極低温下では,着火遅れ時間の問題よりも燃料が気化するかどうかの方に問題が移る.吸気管にエーテルを垂らすというような始動手法はそれへの対処である.このページで温度上昇,蒸発,着火遅れを記述したのは,そういうところの考察にも使えるからである.



  Still not fixed.


名古屋工業大学 機械工学科の 「エンジン工学」 という科目で講義していた内容の一部,もしくはそれをすこし増補したものである.
読者を想定している書きようであるかもしれないが,聴講者のある講義が基であるがゆえであり,本稿の趣旨は自分のためのこころ覚えである.

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